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お好きなものをご注文
たまに通る路地の一角に、今まで気に留めなかったからなのか見知らぬカフェがあった。今日そこを通ったのは、ただの気まぐれだ。看板の前で私はつい足を止めたのだった。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
微かに珈琲の香りが漂う静かな店内。
柔らかい、落ち着いた印象の男性が、カウンターから顔を出していた。
一人だけれど、カウンター席でマスターらしきこの男性と向き合うのは気が引けて、二人がけのテーブル席へと腰を下ろした。
「ご注文は何がいいかな?」
水とおしぼりを持ってきて、彼がそう尋ねてくる。
私は少し困って、男性店員に顔を向けた。
「あぁ、ごめんね。うち、メニューは置いてないんだ。なにか好きなものを言ってもらえたら、ご用意できると思いますよ」
優しく微笑みながら、そんなことを告げられた。
「そう…ですか」
私は少し考えてから、頭に浮かんだ紅茶の名前をあげてみることにした。
「プリンス オブ ウェールズってありますか?」
あまり日常聞きなれない紅茶だから、もちろん、カフェで見掛けたことはない。
「うん、ありますよ。香ばしい香りのする気品のある紅茶だね。なにか食べたいものはあるかな?」
「…洋梨のタルトなんてありますか?」
「はい、用意するね。ご注文は以上でいいかな?」
「はい」
「じゃ、ゆっくりしていてね」
彼はそう言うと、そのままカウンターの中に入っていった。
このお店はなんだろう。メニューが置いてないのに、私が変わった注文をしても迷うことなくあると言う。一人でやるには少し広すぎるような気もする店内。シックで品もあるのに、緊張感を与えない雰囲気が流れている。こんなお店には入ったことがなかった。
私は店内を伺いながら、慣れた手つきで上着のポケットから煙草を取り出して火を点けた。リラックスしている時の煙草ほど、美味しいものはない。店内は、静かなボリュームで、クラシックが流れていた。
少し待つと、注文通りの品が運ばれてきた。
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