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156杯目
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彼はきっと私に、後ろのお客分を払いますという言葉が欲しいんだろう。
でも、私はやらない。それよりも……もっと渡すべき人間に、私は支払う。
衣緒は財布をごそごそさせながら答える。
「払いません。別に義務でもなんでもないんだから」
「かしこまりました、ありがとうございました」
衣緒は財布から抜き出した一万円札を、店員に渡す。
店員は困惑している。
「お客様!?」
「チップだと思って受け取って下さい。それじゃ」
「そんな、チップだなんて」
「いいんです、心苦しいなら……ミルクが置かれている所の義援金箱にでも突っ込んで上げて下さい」
ぽかーんとした店員を無視して、衣緒はスタスタと去っていった。
彼にコーヒーを奢る人間はいないだろう。加えて、長蛇の列をさばいてもニュースで話題になっても、店舗が豊かになるだけで彼や他のスタッフは何も変わらない。
厄介事をただ押し付けられたままだ。
だから……
久しぶりにニコニコしながら、衣緒は家路へ向かった。
「すごい、奇跡って意外と何度も起きちゃうものなのね」バックヤードから出てきた女性店員が、同僚の男性に話しかける。
「本当、そうですよね。あんなに行列が途絶えなくて、善意の輪っていいもんですね」
「違うの」
「へ?」
「確かにそれもすごいけど、無償で赤の他人のコーヒー奢ってあげる人が、2人もいたんだから」
「ん?それはどういう……」
「後で教えてあげる。みんなに言いふらしましょう」
「先輩、あまりお客様の話しは」
「いいの。広める事が、私やあなたに出来る1つの善行なんだから」
首を傾げ納得していない様子の、男性店員を尻目にスターバックス勤務の女性アルバイトは、満面の笑みを浮かべていた。
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