第1章

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 エスプレッソマシーンが地獄のように熱いエキスを抽出する音が、都内の楼閣に挟まれた路地に居を構える小さな店の中いっぱいに充ちる。マシーンを操るかくしゃくとした老人が時おりこちらに目を向けてくる。バリスタというやつだ。茶色いハンチング帽の下からはみ出た白髪が貫禄を滲ませている。カッコいい。 「それは美雪がコーヒーの予習をしなかったからだよ。俺のように備えておけばきっと楽しくなってたさ」  背中の中ほどまで下げた黒髪を揺らさない丁寧な所作でやって来ると、お姉さんはスプーンと並んで小皿に乗ったエスプレッソを俺の前に置いて例の微笑みを浮かべたのだが、その去り際はどこかぎこちない。  我知らず内にお姉さんの背中を目で追っていると、美雪の口から伸びてきた嫌疑の声が俺の右耳を引っ張った。 「予習? まさかシュウ、それで寝坊したの?」 「まあ、ね」  午前一〇時に駅前で――それが彼女と交わした約束だったけど、昨晩遅くまでコーヒーの魅力に憑かれていたせいで今朝は十一時に起床した。慌てて駆けつけて駅までたどり着いたのは正午のこと。すっかりくたびれた様子の彼女を休ませてあげようと思い、事前にネットでチェックしておいたこの店まで案内した。 「けど、そのことについてはもう謝っただろ」 「はあ、呆れた」  彼女が啜ろうとしたカップの中身はすでに空っぽになっていた。 「シュウさ」すると彼女は唐突に切り出したのだ。「わたしたちさ、もう別れない?」 「な!」  掴みかけていたカップが大きく揺れて小皿の上にいくらか零れてしまった。 「何を言うんだ!」  つい声が荒ぶり、バリスタ老夫の鋭い視線が俺の体をすくませる。そういえば店内には他にお客さんもおらず、外国のものっぽい音楽が静かに流れているだけで俺たちの会話はきっとバリスタにもお姉さんにも筒抜けだ。自然と声量が低まった。 「ま、まだ付き合って一ヶ月じゃないか。お互いのことだって全然理解する前に、別れるだなんて」 「まだ、じゃなくて、もう、でしょ。もう一ヶ月も経つのに、シュウったらわたしのことまったく見ようとしないじゃん。あなたの方から告白してきたのに……もう我慢の限界よ」 「そんなことないよ。ちゃんと見てるさ」 「へえ。例えば?」 「た、例えば……」  息の詰まる瞬間をすかさず咎め立てる。 「ほらやっぱり何も見てない」
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