第1章

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 目の前に奇麗な女性が座っている。長い髪の毛は最近あまり手入れされていないのだろうか少し乾燥している。 「良かった。本当に良かった」  彼女はベットに背中を預けて座っている僕に縋りつくように抱き着いて泣きながら同じ言葉を繰り返している。その瞳には涙すら浮かんでいて、僕は申し訳ない気持ちになる。 「そんなに泣かないでください」  頭に手を置こうとしてやめる。触れていいものかどうか判断がつかないのだ。 「……敬語」  彼女が僕の顔を見て困惑した顔をした後、また泣きそうな表情になる。今度は安堵というよりも不安が顔に広がっていた。 「ごめんなさい」  僕は思わず謝っていた。彼女も謝ってほしいわけではないというのは分かっているのだけれど、謝らずにはいられなかった。 「やっぱり記憶がないっていうのは本当なんだね」  そう、僕は今現在記憶をなくしているらしい。らしいというのは自分でもいまいち実感がないからだ。  どうやら僕は会社帰りに駅のホームから落ちて頭を打ったらしい。 病院に担ぎこまれた僕は幸いにも命に別状はなかったし、大きな後遺症もでないだろうということだった。ただ、記憶障害が残った。ここ最近の記憶がまったくなかったのだ。それどころか自分自身が誰なのかもいまいち思い出せない。医者は僕が持っていたという免許を見せてくれた。そこには「木目沢要」と書かれていた。これが僕の名前だという。その文字列を見てもまったく自分の名前という気がしなかった。でも、そこに印刷されている二十代半ば頃の写真の顔と鏡で見た僕の顔は確かに同じだった。 医者が言うには一時的なショックで忘れているだけだからそのうち思い出すだろうということだった。 結局、僕はあと二日ほど入院した後、退院していいということだった。僕が意識を失っているうちに病院の人が家族に連絡を取ろうとしてくれたらしいが、連絡がつかなかった。  誰に連絡を取っていいか分からなくなった病院は携帯電話の電話帳からお気に入り登録されていた人物に連絡を取ったらしい。それが今目の前にいる彼女。立花明日香さんだ。 「ええ。残念ながら。本当にもうしわけありませんが、立花さんの事も覚えていません」  また、彼女が泣きそうになるというか、目に涙が浮かんでいた。 「い、医者が言うには一時的なものらしいですから。そのうち、思い出すそうですよ」
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