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数日後、私は床に臥せっていた。昼過ぎの、丁度いつも彼が顔を出してくれていた時間だ。
一昨日から急に調子が悪くなり、その旨を昨日の夜、一応息子に電話で知らせていた。
「なんだ、時間がないってこういうことだったのね」
私は天井を見上げながら、誰にともなくそう言った。寂しそうに鼻を鳴らすドリーが、布団の横で座り込んでいる。
視界が少しぼやけていた。
「ドリー、どうやら私の方が先だったみたいだね。ごめんね」
消え入りそうな声で言いながら、弱々しく手を差し出すと、撫でやすいようにドリーは頭を低くした。少しでも長く、私に触れていてほしいように見えた。
だんだん、手に力が入らなくなってくる。そろそろか…、そう思うのとほぼ同時に、手はドリーの頭から床へと滑り落ちた。遠くで車の音が聞こえる。息子が来たようだった。
やっと、私は本当に幸せに逝ける、意識のどこかでそう感じていた。夫が思い出させてくれたから。大事な、私のここでの日々を。
数年前のことが、頭を過ぎる。
――――‥
庭に急に咲き始めた小さな青い花。この花を初めて見つけた日、私は縁側からそれを一日中ぼーっと眺めていた。
春になると、それを知らせるように毎年咲くようになった。
勿忘草。
そういう名前なのだと、佳代子が教えてくれた。夫が咲かせた花だったのだろう。
――――‥
「私を、忘れないで…」
夫の気持ちを代弁したのか、私がドリーに伝えたかったのか、もうよく分からないけれど、それが私の最期の言葉になった。
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