第1話 夏の幻

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グリーンのローカル列車を降り、一人駅のホームに立った大村友哉は、体にまとわりつく暑さと、沸き立つ蝉の声に目眩を覚えた。 そして同時に、8年ぶりにここに帰ってきてしまった自分にウンザリした。 無人の改札も、雨に晒され色あせてしまった駅舎の壁も、何一つ変わっていない。時間があの頃から止まっているかのようだ。 太陽に炙られ立ちのぼる土の匂いと草いきれが、鼻孔を刺激する。 逆らうように息を吐き出した。 その懐かしい匂いと共に、どうしようもなく蘇ってくる少年期の記憶は、友哉にとって苦痛でしか無かった。 『へえ~友哉、田舎で同窓会なのか。いいな、オレ両親ともこっちだし、ジジババいないから田舎なんて無いんだ』 帰る前の日、大学の友人がそう言ってうらやましがった。 「別にそんないい所じゃないよ。ただの辺鄙な山の中さ。遠いし、帰るだけでぐったりする」 照れ隠しではなく、その時友哉は本当にそう思った。 12歳になるまでそこで育ったというのに、まるでその土地に愛着が無かった。 “本当は二度と行きたくない場所なんだ。” うっかりそう言いそうになったのを友哉は堪えた。 『どうして?』 などという質問が来たら堪らない。思い出すのも説明するのも真っ平だった。 あの夏の思い出が、今も尚、友哉を苦しめる。 両親の都合で8年前神奈川に引っ越し、こことは無縁になった今でも、夏になり蝉の声を聞くと胃の辺りが締め付けられるように痛くなる。 蘇ろうとする記憶を払い落す様に、友哉は頭をブンと振ったあと、草の手入れも行き届いてない駅のロータリーでバスの時刻表を確認した。 1日6本しかこの駅を経由していないのを見てウンザリした。昔はもう少しあったはずだ。 実家近くにある観光名所の滝が、水不足と崖崩れで見劣りするようになり、観光客が減ったと祖母から聞いたことがある。 それが村をさらに過疎化させて行っているのだろう。 友哉は首筋の汗を手の甲で拭うと、ボストンバッグを肩に担ぎ、歩き出した。 2時間もここでバスを待つよりも1時間かけて歩いた方がマシだった。 相変わらずワシャワシャとうるさい蝉の声に苛立ちながら、友哉は今やすっかり寂れてしまった駅前商店街を抜けて、村へ続く県道脇を歩いた。
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