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「よう来たねぇ友哉。疲れたやろ。風呂焚いてあるけぇ、先に入ったらええよ」
駅から歩いてきたという友哉を、久しぶりに会った祖父母はとても優しく迎えてくれた。
祖母のカナエは小さな体を揺すって相変わらずよく笑い、祖父の幸次郎はフサフサした真っ白い髪が雛鳥のように見える、穏やかで無口な人だった。
小6まで友哉は両親と、この祖父母の5人でここに住んでいたのだが、父の急な転勤で友哉親子3人はその冬、神奈川に引っ越した。
当然祖父母はこの家に残るはずだったのだが、父親の弟夫婦が突然祖父母を引き取ると言い出し、無理やり福岡に連れて行ったのだ。
「福岡の叔母さんに三つ子の赤ちゃんが生まれたやろ? きっと、じいちゃんばあちゃんに世話して欲しいんよ」
母が少し苦笑しながら言ったのを友哉はぼんやり覚えている。
祖父母がどこに住もうと別れて暮らす事に変わりは無く、寂しい気持ちも変わらない。
けれどその時一番に思ったのは別の事だった。
寂しさよりも、「帰るべき田舎がなくなる」という安堵だ。
その夏起こった出来事と決別できるという安堵だ。
すべてを記憶の隅に追いやることができる。
もう二度と、あの滝のほとりの近くを通らなくて済む。そう思った。
ところが昨年の冬。
福岡のマンション暮らしに耐えきれなくなった祖父母は、またこの家に戻ってきたのだ。
福岡の叔母は、三つ子が成長しマンションが手狭になってきたこともあり、気前よく二人を送り出した。
友哉の「田舎」が再び復活した。
「ほんと、大きゅうなったねえ、友哉。何センチあるん?」
「175センチしかないよ」
「肩もガッチリしちょるし、髪の毛も今時の子やね。大学じゃ女子にモテるじゃろ?」
75歳になるカナエはコロコロと笑いながら、少女のように高い声で喋った。
幸次郎も嬉しそうに友哉を見て頷いている。
「そんなことないよ。うちの理学部は女の子が少ないんだ」
友哉はクーラーのない畳の居間で、体に扇風機の風を直に当てながら、この懐かしい空間に満たされていた。
土間から続く台所と居間は、不思議と外の猛暑を遮断してひんやりしている。
蝉の声が少しおさまり、代わりに辺りの田圃からせわしなくカエルの声が聞こえはじめた。
平和そのものだ。 何を不安がる事があるだろう。
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