ノンフィクションという物語

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 ノンフィクションという物語

 その先は私にも想像はついたので、 「運送という使命を担うマリー・セレスト号は、ちゃんとした船である以上ちゃんと設計図に基づいてつくられていたし、設計図があるということはそれを盗みだしさえすれば、そっくり同様の型の船を製造することもできた。なら、あらかじめ偽物のマリー・セレスト号をまるまるコピーして造船し、これまたあらかじめ決められていたであろう予定航路の情報を入手して、予定地点である大西洋のどこかに待機させておくことも可能だった──っていうことか」  おまけに本物じたい新しい(、、、)。ということは、まだその船の特徴となるような汚れや傷などがついてないことを意味する。これといった個性がとくべつない以上、マリー・セレスト号を見分けて個体識別し同定するには、設計図などから船体の様式で判断するしかない。 「あとは、海賊なんかじゃあなく訓練された軍隊が、たぶんSEALs(シールズ)みたいな海軍が──あれはまあアメリカの海軍特殊戦コマンドだけど──、軍艦などを総動員してマリー・セレスト号じたい船ごと乗組員もほかの積み荷もまるまる拉致してしまった、と。同時に、はじめから誰ひとり乗っていない完コピした偽マリー・セレスト号を、それとなく海上に漂わせておいて作戦終了、特殊任務完了っていうわけか」  とはいえ、となると、その黒幕(フィクサー)であるところのある一国(、、、、)とやらの正体が気になる。というか、ということは、むしろ国家的陰謀を(くわだ)てたその国がどこかも、実際そこまで大掛かりな強盗を仕組んでみごと成功させたことを考えるとその毒ガスがどんなものかも、はっきり判明させることも可能なのではないか。何しろ、それだけの高いリスクを冒し、高いコストを払っているわけだから、 「当然あとでつかわない手はないし、いやきっとつかってる可能性のほうが高い──っていうことは、ひょっとしてこれって、のちのち起きた戦争のこと調べれば、マリー・セレスト号を本体ごと拉致った(、、、、)犯人の国も、強奪目的だった毒ガスの詳しい成分も、ある程度、かなりの精度で特定すること可能じゃあないの?」  さっそくデスクトップのほうで検索すると、マリー・セレスト号が無人で発見された1872年以降でという条件に、時期的にも規模的にも合致しそうな国と化学兵器はたしかにあった。近代以前にも使用例はあるにはあるらしいが、本格的に国をあげてケミカル兵器が開発され、戦場に投入されたのはやはり有名なWW(ワールドウォー)(ワン)──第一次世界大戦からとなる。具体的には、1914年の8月に西部戦線でフランス軍がドイツ軍に向けて噴霧した「ブロモ酢酸エステル」という催涙ガスが最初期らしい。それより毒性は劣るものの「塩素」を1915年4月にドイツ軍がイープル戦線で連合軍に対し毒ガスとして兵器利用した。その後すぐイギリス軍もおなじ前線でおなじ塩素ガスを、おなじ年の12月にはドイツ軍が再度イープル戦線で今度はあらたに「ホスゲン」をつかって、さらにこれを受けイギリス軍は塩素とホスゲンを混ぜた揮発性物質でと、毒ガス兵器の応酬のやりあい殺し合いはつづく。フランス軍が「シアン化水素」いわゆる「青酸ガス」を独自に研究するなど、各国こぞって化学物質を利用した兵器をつぎつぎと開発するなか、いよいよドイツ軍が1917年「イペリット」とのちに呼ばれ悪名高い「マスタードガス」=「硫化ジクロロエチル」を搭載した毒ガス弾を実用化した。 「超有名なマスタードガスや青酸ガスはあきらか後発っぽいから論外としても、フランス軍の催涙ガスとか、ドイツ軍の塩素ガスとか、すごいあやしい」  アメリカ政府が極秘開発した毒ガス兵器とは「ブロモ酢酸エステル催涙ガス」か「塩素ガス」なのではないか。その毒ガスのサンプルをマリー・セレスト号から船と船員まるごと強引に奪い盗んだ国とはずばり、「フランス」や「ドイツ」あたりが最有力容疑者いや容疑()候補となるのではないだろうか。 「──と、推測するのもたしかに可能ではある」  それまで黙ってフリーズしてしまったかと見まがうほどじっとしていた黒衣探偵が、唐突に喋った。そういえば、気づけば私ひとりが興奮して喋っていた。 「しかしながら、はたしてそれは妥当であるのか」 「まあなあ。たしかに黒幕国の正体や毒ガスの成分まで断定してしまうのは、やっぱ早計かもしれないな」  それに例によって、おもわず黒衣のやつ(、、)の話にのせられエキサイトしてしまっていた。よくよく考えてみれば、“How”の方法がそうだとしても、やっぱり“Why”つまり動機がそうだとはかぎらない。毒ガスという設定は、一連のセイレーン説の流れのなかで確率の高い可能性として推定された、あくまで仮定の過程、仮定の前提にすぎないのだから。などと諸々いろいろ反省している私に、 「ノンノン(、、、、)。そういった点が問題なのではない。問題点として浮上するのは、船ごと入れ替えたという可能性、船をまるごと入れ替えたという前提条件の妥当性、その可否その有無にほかならない」  ここまできて黒衣探偵は、話を根底から(くつがえ)すようなことを言いだした。 「ノンフィクションであるセレスト号の話にかんする問題とは、根本的にそれがノンフィクションというフィクションである(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)事実にすべて起因する」
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