ノンフィクションという物語

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 矢継ぎ早に黒衣探偵が言葉をくりだす。 「簡素に要点のみ述べましょう。原理上、人間には主観的にいまここ(、、、、)()直に(、、)体験しつつあるリアルタイムの状態でしか、事実の事実()は保証されえない。本人がいかに実際まごうことなく体験したことであっても、それを経験という形に変換し編集し物語る以上、いかに客観的に事実を再現しようとも記憶違い、思いこみ、説明ミス、情報操作、省略、削除、補足、脚色、表現の差異、解釈と価値判断の介入、構成と時系列の組み立て等々(エトセトラエトセトラ)、意図的か無意識かによる物語化(、、、)は確実にまぬがれえないのだから。それは、記録し再生するのが人間ではなくカメラなどの物理的媒体であっても、いささかも事態は変わりません。仮にすべての事象をすべての視点のみならず全感覚のあらゆるすべての方向から完全に記録し保存することが可能になったとしても、発信する時点においても受容する段階においてもそこにかならず人間の意識が介在する(、、、、、、、、、、、、、、、、、)という条件が課せられている構造上、ドキュメンタリーもノンフィクションもフィクションではないという体裁の(、、、、、、、、、、、、、、、、)物語にほかならない」  マシンガントークか。しかも内容が難解というか意味不明(ナンセンス)というか、とにかく長い、長すぎる、途中でよっぽど音声シャットアウトしようかとおもったわ、とツッコミつつ、長々滔々(とうとう)と語る黒衣(クロコ)に圧倒されたのだが、おおよそ現実(リアリティ)現実感(リアリティ)でしかない──とようは言いたいんだなってことはわかった。わかったが、 「実際、小説ジャンルでも〈ノンフィクション〉っていうカテゴリーあるもんな。それで、それが、どういうこと?」  問うと、 「ノンフィクションは物語(フィクション)の一形式、ひとつの表現方法でしかないという事実であり条件でもある性質は、セレスト号船員全員消失の謎というお話──ノンフィクションにおいても厳然と明瞭にあらわれている」  即座に黒衣探偵は返答、連投するといった感じだ。 「仮定したように、まるごと模造した本体の船といっしょに、船旅の必需品、食料と飲料水、アルコール樽などの積み荷という中身まで克明にコピーしたのだとしても、いくつも矛盾点が浮上するのは避けがたい。たとえば、ある程度それぞれの船室に服や器具など日用のアイテムをセッティングし、自然な使用感、生活感を演出していたのだとしても、特定の『恋人の写真』であるとか『おのおのの大切な物品』であるとかいったごくごく私的(プライヴェート)な小道具を徹底して、そこまで事前に用意するのは──まったく不可能ではないにしろ──かなりむずかしい。あるいは、そこまで事前に用意する必要性があるのか(、、、、、、、、)」  水夫(セーラー)として海上生活に必需の物品をいろいろセットするのは、より本物っぽくするためにまだいいとしても、『それぞれのベッド上』に『くっきり凹んで』『人が寝ていた跡』を作為したり、『その水夫たちの部屋の前』に『さっき洗ったあと絞って干したばかり』のような『洗濯物がいくつも綱に掛けられ』ている状況を偽装したりと、たしかにそこまでする必要などまったくない。 「不必要なのは、船長室の発見されたときの状態にこそ──もし偽装であるならば(、、、、、、、、、、)──よりよくあらわれている。食卓に家族の人数分の朝食を不自然に見えないよう演出することはまだいちおう有意義であると評価できるにしても、『カヴァーをめくられ、ほったらかしになっていた』『一台のミシン』、その上に『転がり落ちもせず、胴部分を下にしてちょこんと載っていた』『円形の指抜き』などをセッティングすることに、その掛かる手間暇に比して得られる効果があまりにも不明確すぎて積極的な意味は見いだせない」  黒衣の言うこともいちいちもっともだった。しかも偽装工作で狙って『テーブルの上に載った物』の『コップも皿も薬ビンも』波や船の揺れで転倒することなく『じっと直立した状態をたもったまま』にしておいたのならその目的がはっきりわからないし、それでも意図してやったというのなら過剰演出でしかないだろう。 「船ごと入れ替えるという大掛かりなトリックをつかう必要性がそもそもない(、、)のだから、さまざまな問題点や矛盾点が頻出するのも必当然的というべきでしょう。船ごと奪うのが目的ならば、そのまま船ごと消してしまったほうがはるかに効果的で得策なのだから──コストの面でもリスクの面でも」  言われてみれば、船ごと入れ替えるというトリッキーな方法で船員全員消失という不可思議な状況をつくりだしてしまうより、素直に船ごと消失させてどこかに難破か遭難かして沈んだと世間に広くおもわせたほうがいい。 「仮に入れ替えトリックをつかったのだとしても、たとえば、模造船をそのまま残さず破壊するなり沈没させるなりして海上でありがちな事故に見せかけるべき。ないしは、船長室に『現金をしまってある箱』も『そのほかの貴重品類』もあったのだから、それこそ『鍵』をむりやり外すなり『本棚』などの物を引き倒すなりして室内をはでに荒らし『破壊された形跡』をこれ見よがしに残すほうが、海賊に金品目的で襲撃されたよう見せかける偽装工作も可能だったはず」  ならば、と黒衣は断定する。 「にもかかわらず、そうはならず、かつ結果的に不可解な、矛盾した問題だらけの状況が生みだされた──。現実に起こった事件を事実に基づいて(、、、、、、、)物語(フィクション)化した実話(ノンフィクション)であるために」
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