ノンフィクションという物語

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 黒衣(クロコ)の言うことはとりあえずは(、、、、、、)納得できないものでもなかった。マリー・セレスト号事件における船員全員消失に附随したさまざまな謎だらけ、矛盾だらけの奇妙な状況が結果として(、、、、、)生みだされてしまったものだとするなら、それはたしかにクロコの主張するように、「現実に起こった事件」がいわば事実そのままそうだったというより、人づてに大勢が見聞きしクチコミ・マスコミ経由で情報が拡散するうち、故意にかどうかにかかわらず事実が歪められたり変化したりして、それこそ「現実にあった()」と実話系/ノンフィクションになってしまったせいなのだとすれば、理解できるし腑に落ちる。簡単に、仮に一言でたとえて、 「言ってしまえばまあ、はなから解決(クリア)することなんてぜったい不可能な〝無理なゲーム(ムリゲー)〟だったっていうわけだ」 「とはいっても、マリー・セレスト号の謎が物語(フィクション)化した実話(ノンフィクション)であると結論づける理由は、何も発見時とされる状況に不可解な点が多く矛盾する点もたくさんあったから、というためのみではむろんありません。それではただの思考停止、論理放棄でしかない」  クロコがつづける。  もちろん、それもわかる。というか、当然も当然、しごく当然、当たり前だろう。世の中にあるミステリアスな出来事があまりにも不可思議要素が多いからって全部が全部まったくの作り話であるわけがないし、極論「嘘だ!」とか「偽物(フェイク)だ!」とか言ってみんな疑ってかかって何ひとつ信じなかったとしたら──何もかも信じこむのと一見逆だがじつのところ完全におんなじことでしかなくて──社会全体それこそ何ひとつ話が前へ進まない。そもそもそれだと未解決事件はいったい何なんだどうするんだってことになるし、今回みたいに謎な謎を謎解きする意味もたのしみもまったくなくなる。おもしろくない。  せいぜい、何事も物事の一部にはどこかにかならず虚構(ウソ)が混じっていて、いくら世間で客観的な事実やら真実やらと認識あるいは認定されているからといって、かならずしもすべて現実(ホント)っていうわけではないよ、と大前提としてつねに念頭においておくのが社会人として当然の一般常識、いや、もはや現代人としては必須のスキル、必須のマナー、自覚をもつべきっていうところだろう。近年、何かと話題になるいわゆる「ネットリテラシー」っていうやつだけではない、むかしから人間は「考える(あし)」っていうくらい、あれこれ悩んだり推理したりするのが、もともと癖というか習い性になっているわけなのだから。  大事なのは、他人(ひと)の考えに頼ったり従ったりするだけで解決(オーケー)にするのではなく、できるだけ、何事も、ちゃんと自分の力で考えてみること。どうせ、ほとんどの人が謎めいたものに怖がりつつも自然と惹かれるものなのだし、たいていクイズやパズルが好きでミステリーと聞いたらほっとけない(たち)なわけなのだし。 「実話(ノンフィクション)と銘打たれたマリー・セレスト号の船員全員消失という問題がまさに文字どおりノンフィクションである(、、、、、、、、、、、)というのは、まず登場人物の名前が何よりその証左となっている」  閑話休題。私がひとり頭のなかで、まさにあれこれ思考をひねくりこねくり回していても依然として当然おかまいなしに、クロコは論考という航路のもっとさらにその先へと進みつづけた。 「作者の牧逸馬が、世界怪奇実話シリーズの一エピソード『海妖』のなかでマリー・セレスト号の謎を描いたとき、船長の名はブリグス(、、、、)となっていた。この名前じたいはたしかに、あなたがたもさしあたり解釈したように、もとの英語である発音とつづり(スペリング)を日本語へと変換する際のちょっとした差異、史実的情報との小さな齟齬でしかないと、ひとまずとらえることは可能でしょう。翻訳する段階で、どのように音読し、どのようにカタカナ表記にするか、といった問題やちがい(、、、)にすぎないと」  妻と検討し論証していた最初のほうで、Wikipedia内のまとめられた情報では、船長の名前のブリグスが「ブリッグズ」と表記されていたことはすでに確認済みだ。その際、日本語特有の外来語由来のカタカナ表記があって、最近の授業ではフランシスコ・ザビエルを「シャヴィエル」と表現するようになったであるとか、代表的なたとえば(、、、、)で“radio”を日本人はなぜか「レイディオ」というネイティヴな英語に近い発音や表記でなく「ラジオ」といまだに口にも文字にもするだとか、いろいろ妻と会話したおぼえがある。 「だからさ、当時マリー・セレスト号にたまたま乗り合わせた船長家族のファミリーネームが、牧逸馬の小説のなかではブリッグズじゃあなくブリグス(、、、、)ってなってても、まあべつに、そんなにおかしなことじゃあないよな」 「しかし、一人娘のファーストネームがポーリン(、、、、)というのはあきらかにおかしい(、、、、)」 「えっ?」  あれ、そうだったっけ、と一瞬、思考が固まり、脳内が空白になったまま記憶のデータベースへアクセスできなかったので、急いでデスクトップでネット検索する。たちまちヒットしたWikipediaで確認してみると、子どもの名前は「ポーリン」ではない、「ソフィア(、、、、)マチルダ(、、、、)・ブリッグズ」となっている。 「ほんとうだ……ソフィア・マチルダじゃあ、まるっきりちがうから完璧にまちがいようがない。ミドルネームこみじゃあ、だんぜん長いし、ソフィアでもマチルダでも、おなじ日本語カタカナの呼び方にしても、ポーリンとは音も表記もなんの引っかかりもないくらい遠すぎて、ぜったいぜんぜんちがう」 「そして決定的なのはマリー(、、、)・セレスト号という船の名前じたいにほかならないでしょう。“Mary Celeste”という船名の“Mary”というファーストネームに位置する部分が、英語圏にてそのつづり(スペリング)マリー(、、、)と発声されることなど通常ありえないのだから、けっして」
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