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失われた動機を求めて(Why done it?)
「あらためてセレスト号の船員全員消失という謎を、虚構と事実が混合されたノンフィクションであると認識したうえで、虚実をあえて峻別し分解することなくテキスト上のデータはデータとして、情報化した客観的な決定事項が記述されていると認定しさえすれば」
「はあ。まあ。ああ。そうか。なるほどな、なるほど」
100%客観的な事実など存在しない──人間は完全に物事すべてを知覚することも記録することもできないわけだから、意識間で伝達/流通/交換される情報であれ、なんらかの物理的な媒体経由でもたらされた情報であれ、そもそも虚実入り交じっているのが当たり前、虚実のボーダーラインがあやふや曖昧なのも当然しごく必然的なこと、虚実をわざわざことさら分別する必要性もないということか。
もともと現実とはそういうもの。今回のケースがとくべつ異常というわけでも特殊というわけでもない、極論、現実とは虚実複雑に絡み合うもの、認識する者によってグラデーションのように変化する相対的なものにすぎない。
「なら、マリー・セレスト号のミステリーもあくまでそれを大前提に、あえて考えてみればいいっていうことか」
とすれば、どうなる? どうする?
しかし八方塞がり。完璧に行き止まりだ。
Wikipediaにも取り上げられているような海難説や海賊/海洋モンスター遭遇説はむろんのこと、怪奇現象発生説も殺人鬼殺戮説も、いちばん可能性が高いとされ従来より提唱されているアルコール発火説も、例のフォスダイク文書により判明したとされるデッキ事故説も、ほとんどの一般的な仮説/通説/俗説がすでに世界中のいろんな人に検証され、どれもことごとく話の辻褄が合わない非現実的な推測だと批判されたうえ、あえなくあっけなく退けられている。それらを踏まえ、妻と私が独自に段階的に検討し論証した(未確認海洋生物)UMA超音波セイレーン説も、(極秘生物兵器)病原体セイレーン説も、(近代化学兵器)毒ガスセイレーン説も、どれも共通して根幹に致命的な欠陥があるのをクロコに指弾までされ、完膚なきまでに崩壊し撤回をよぎなくされてもいる。
かといってクロコ自身が軌道修正し発展的に案出した〝船体まるごとコピー入れ替え説〟も、解消できない問題点や矛盾点があまりにも多すぎるとみずから、あっさり自説をひっくり返し全否定した。にもかかわらず、その反証の論拠になった事実と虚構の、虚実区別のつかない物語=ノンフィクションのノンフィクション性を確認したうえで、今度はその虚実混在の物語=テキストを推理の材料や前提条件にして、論理的に謎を解いてみせようというのだ。
「つっても、やっぱムリゲーはムリゲーだろ。もう考えられる可能性はあらかた全部、出尽くしてしまった感、あるけどな。どう考えたってクリア不能、解決不可能」
「不可能ではない」
くわえてクロコが言う。
「そのためにわたくしはこの世界に存在するのですから」
くりかえし意味深な宣明を。
「といっても、何もわたしくしのみが知りうる情報をもとに解明しようなどというのではありません。むろん、真実は神のみぞ知るというわけでも」
なにやら大仰なマニフェスト、というより壮大な独り言といったほうがいいような、意味不明な声明はまだまだ継続して発せられる。
「すべてのデータはそろっている。むしろ確定的に設定され、限定された条件下で情報がすべて、あたえられていると断定し認定しなければならない」
ついで明言する。
「しかしながら、さまざまな形で呈示されたヒントや糸口、暗示されるとっかかりや手がかりといったものを無数のジャンク情報のなかから取捨選択して証拠データに変換し、蓋然性高く論理的にまとめ上げ、繋ぎ合わせ、組み立てるオペレーションは必須となる。いうなれば観測者が対象の位置と意味をとらえ固定することで、無限に可能性が分岐し確率的に解釈がループしてしまう不完全性や不確定性などを排除し、事象を明瞭に形にして正確に特定することが可能となる」
亀裂──切りこみのような、黒ずくめの頭部正面のわずかな隙間ふたつから、不気味な目だけが覗いている。
「あなたが知りうる範囲の情報のみで、すべての謎は解ける。つまりはあなたも論理的に謎を解くことができる」
亀裂が、思考の限界にヒビが走った。見えない障壁が破られ、リミットを超えたがごとく一瞬、光が、鋭くこちらを射抜いた。
「だけどさ、ほかにどんな可能性があるっていうんだ? どうやって開かれた密室とも言うべき不可能状況を、何もないだだっ広い海の上に存在するたった一隻の船のなかにいた大勢の人間を一度に、いっきに、ひとり残らず消すっていう不可能状況を可能にする方法が」
「ある。『十六人もの人間に毒を同時に飲ませ死傷者をだした』有名な帝銀事件が実際に可能であったように、船員全員を巧妙に騙し、一度に、いっきに毒殺するという方法が」
「バカな。ないない。あれはむちゃくちゃ特殊例っていうだけで、むちゃくちゃ特殊な方法がつかわれてる可能性が高い超レアケースらしいし。今回のケースには時代的にも、シチュエーション的にもそんな方法があるとはとうていおもえない」
「ノンノンノン、かならずある。不可能を可能にするシチュエーションも手段も。大勢を同時に毒殺することはけっして不可能ではない。帝銀事件という先行例を念頭に、ある程度かぎられる推測範囲を想像で補えさえすれば」
「どんな、いったい、どんなシチュエーションと手段があるっていうんだ?」
「大勢を一堂に集め、毒が混入していたとしてもまったく気づかれず、ほぼ同時に飲み物を飲ませるという、今回の諸条件に見合った絶好の機会がたったひとつだけ」
「たったひとつ、だけ? そんなの、ある……か」
「ある。方法はある。考えうるかぎり、たったひとつだけ。これしかない。がゆえに、真相はこれしかない。よって解答はこれしかないとも、おのずとなる」
「えっ?」
「乾杯したとき──これしかありえない。食事の際、船員全員で乾杯して一度に、いっきに、毒入りの酒をあおり飲みほしたという可能性しか」
突破口が見えた。
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