失われた動機を求めて(Why done it?)

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「ん……なるほどな、乾杯するときなら、お酒に混ぜて飲ますなら……」  たしかに可能かもしれない。  食事(おそらく夕食)の席でなら、食堂にみんな自然と集まるし、むかしから欧米の習慣として当然のように、一堂に会した状況でみんなで乾杯もする。アルコールという、匂いも強く、味も濃い飲料にならば──どんな種類のどんな成分かはいずれにせよ不明なのだとしても、いや結局すでに幾度も検討したように不明のままでいいとして──毒物が混入されていてもすんなり嚥下してしまうし、毒薬の効力が作用し自覚症状が出現しはじめるまで気づくのはむずかしい。そうこうするうち、みんながみんな、おなじ場所おなじタイミングで毒に倒れることにもなる。  重ねてクロコが断定口調で述べる。 「このシチュエーション、この手段しかありえない」  というか、それ以外ほかにおもいつかなかった。それなら目下のところ、さして矛盾なく、さほど無理なく事態を説明できる。ほかのうまい方法が考えられないということは、これで当面まちがいないと断定もできる。私はクロコの推定に頷かざるをえなかった。 「とりあえず納得はした。したけどさ、それは乗組員全員を殺すっていう意味で消す(、、、、、、、、、、、)ってだけで、文字どおり、ほんとうの意味で消す(、、)ことにはならないんじゃあないか」  消去のニュアンスがちがう。言説レヴェルもちがう。殺人の方法としては充分可能だとしても、消失(、、)の方法としては不充分でしか。 「それに、これも何度も検討したけど、船内に屍体はおろか、そういった凶行か恐慌? みたいな痕跡はいっさい見あたらなかったわけだし」  いろいろ問題点は多い。仮に推論どおり、乗組員みんなが一度に、いっきに毒殺されたとしたら、まずそれだけの大量の屍体もいちどきに、いっせいに発生することになる。それもあくまで想定どおり、しかもことがうまく運んだ場合っていうだけで、 「そうでなくともたとえば、死ぬ間際にそれこそ、被害者たちが苦しみ悶えてグラスや食器を割ったりしたかもしれないし、血や吐瀉物をそこらじゅうにまきちらしたかもしれないし。大量殺人をおこなう方法としてはいちおう成立しても、だからって、イコール乗員全員を消失させる方法とはならないだろ」 「方法はある(、、、、、)」  再度クロコは一言シンプルにおなじ言葉をリピートし、 「屍体も痕跡も消し去っただけ(、、、、、、、、、、、、、)のこと」  シンプルにつけくわえた。つい先ほどセリフをリプレイしたみたいに。 「えっ? 消し去った?」 「文字どおり、ほんとうの意味で、すべて消去したまで」  クロコがはっきりと、より断定口調のトーンを強めて、 「船員全員消失という不可能事を本人たちの意思と関係なく強制的に実現するには、まず前段階として諸条件に過不足なく合致した解答──大勢が一堂に会した食事時に、毒物を混入したアルコールで乾杯させて一度に、いっきに殺害したという可能性しかありえない」  あらためて断じた。 「ということは、次に考えるべきはその後その毒殺屍体の処理をどうしたか──ということ。その問いに対する答えはひとつしかない」  たんたんと言い切ると、 「ここで想い起こしましょう。発見されたとき船内は『船首から船尾にいたるまで各船室すべて、いつもどおりといった感じで整理整頓され』、『いずれの場所も、埃ひとつ塵ひとつないような印象を受けるほど隅々まで清掃され、ちゃんと整備されている』状態であったことを。であるなら、それは文字どおり、ほんとうの意味で、現場がクリーンにされていたことになる。つまりは、そこにもとは何かあったのだとしても完璧に証拠湮滅がなされたことに」 「あっ。ああ、たしかに、やけに船内の描写が不自然なくらい……っていうか、むしろ不気味なくらい、やたらきれい(、、、)な印象だとはおもってたんだよな。そうか。だったら、ほんとうに掃除したて(、、、)だった可能性があるっていうことか」  みんなの屍体もあらゆる痕跡も、きれいに消された可能性が。もちろん、当時はまだルミノール反応による血痕検出など、現代(いま)のような精密におこなわれる科学捜査なんてなかった。 「みんな抹殺され、抹消された」  そう言ってクロコはさらに、 「その証拠に、決定的な以下の船内描写もあったはず。『水夫たちの部屋の前には、洗濯物がいくつも綱に掛けられ、ついさっき洗ったあと絞って干したばかりなのだろうか、一様にぽとぽと雫を滴らせ、甲板を一列にアメーバ模様に濡らしていた』と」 「あっ。ああ、ほんと……だ……たしかにそうだ、そうだった」  子ども時分から自分の頭のなかで、はっきりと記憶し、何回も何回も反芻し、ストーリー構成されていた話だったのに。間抜けなことに、たった一文のその描写が示唆しているかもしれない重大な意味合いには、まったくもっておもいいたらなかった。  茫然自失。私が虚を衝かれ、まともに返せず無意味な言葉をつぶやいているあいだにも、変わらない調子でクロコは論証をつづける。 「ではその次の段階で問題となるのは、時間的に(、、、、)はたしてそれら一連の犯行が可能であったか──ということにほかならない。前提としてまず今回の条件下の場合、かならずしも大量殺人と証拠湮滅とが同時におこなわれる必要性はない(、、、、、、、、、、、、、、、)ということ。よって、短時間で継起的に実行されたのではなく、大量殺人のあと充分に余裕をもって証拠湮滅がおこなわれたと想定していい。そして、またしてもその証拠はあからさまな形で明文化されている」 「えっ」 「話中、運転士の部屋に残されていた航海日誌には、船が無人状態で発見された日より『十日前の11月24日まではごくありふれた内容の、ごくありふれた状況報告』が書かれており、『そのような事務的な記述がつづいたあと、なぜか(、、、)それ以降のページは白紙になっていた』とある。ならば明確に特定されうる、その空白の十日間のあいだに犯行がおこなわれたことが」 「あっ。ああ、そうか。そうなるか」  三度(みたび)驚いた私に、 「蓋然性の高い推測を述べれば、おそらく25日の夜に大量殺人は起き、以降の十日のあいだに、航行をつづけながら順次、一体ずつ何か重しをつけて屍体は広い海へ遺棄されたとみられる。それから、痕跡を消すのにつかわれていた布巾などが乾いていなかったところをみると、発見される直前まで証拠湮滅の隠蔽工作はおこなわれていたとみてまちがいない」 「ほんとうだ。すごい。犯行日時の幅はかなりの程度、限定される……いや、だけど待てよ。じゃあ、だとしても犯人は? だったら犯人はいったい誰なんだ?」 「むろん船長に決まっている(、、、、、、、、、)。船長の犯行としか考えられない」  何を当たり前のことをと言わんばかりに、所与のもの、決定事項のものとしてクロコは告げた。
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