失われた動機を求めて(Why done it?)

6/7
前へ
/49ページ
次へ
 真っ黒。  何も見えない。  誰もいない。  何か小さく声が聴こえた気がする。  かすかに不安が胸をよぎる。  まさか……。  私はふらふらと立ち上がった。  まるで夢遊病者のように……。  半ば無意識にそこへ向かった。  誰もいない。  片手を伸ばす。  なかを見るためドアを開けた。  無かった(、、、、)。  たしかにそれ(、、)は存在しなかった。  何度……。  何度も何度も……。  確認しても無駄だった。  やはり存在しなかった。  何の痕跡もなかった。  影も形もなかった。  まったく実体が。  何もなかった。  なぜか……。  何度見ても無かった(、、、、)。  なぜ?  誰もいない。  なのになぜ?  はじめから存在しなかった?  最初からじつは不在だった?  はたして実在したのか?  だって誰もいない。  考えられない。  感覚が狂う。  なぜ……。  なぜだ。  軽くパニックになりながらも、頭のなかではっきりと残響していたのは──「いただきます」と脈絡なくいきなり発せられたクロコの、謎の「お礼にプリンを」という不可解な食事の挨拶と、高らかな窃盗予告につづくかすかに遠くフェイドアウトしてゆく最後のセリフ「アデュー」だった……。 「アナタ、聴こえる? もしもーし?」  かわりにフェイドインしてきたのは、 「アナタ、聴こえてる? もしもし、聴こえる?」  まぎれもない、妻の声。 「あれ? 冷蔵庫にしまっといたはずのプリンが……ない……」  画面に映る妻の顔を目にしてもなお、私の思考はまだ混乱していた。  誰もいなかったのに、やつ(、、)の姿はここにはなかったのに、なぜプリンは消えた? ここにたしかに焼きプリンは存在したはずなのに。 「はあ? プリンがなに? もしもーし聴こえてる?」 「ああ。聴こえてる。ちゃんと聴こえてるよ」 「あっそ。じゃあ、なんで返事しないの。早く返事してよ」 「悪い悪い。ちょっとボケッとしててさ」 「なんか急に、ずっと電波つながらなかったけどオーライ? 大丈夫?」 「ああ。えっと……」 「なに?」 「真っ黒な……やつが……」 「明日も朝早いから」 「あ、あのさ……」 「朝、散歩しなきゃなんないし、もう寝るわね」 「あ、あっと……」 「じゃあグッナイ、おやすみ」 「ああ。おやすみ」  私はひょっとして夢でも見ていたのだろうか。長いようで短いひととき、まるで仮想(ヴァーチャル)のようでいてとても現実(リアル)にも感じた、悪夢じみた体験の記憶を頭から振り払おうと、ほっと一息、安堵するためスマホの待ち受け画面に設定していた私の可愛い宝物──麦わら帽子をかぶって涼しげにちょこんと坐る大和の写真(、、、、、)を眺めた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加