羅宇

1/4
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

羅宇

汐見橋ってぇのは、おめえさん聞いたことがあるかい? そう。 元浜町の、お稲荷さんの近くの其処だよ。 そこに、暁九つ(深夜0時)になると夜鷹蕎麦がいつの頃からか出るようになった。 深く頭にほっかむりを被って、やけに猫背でボソボソ喋くる男だからどんな爺さんかと思いきや、まだ若い男でね。 なんでそんな男が夜鷹蕎麦なんざやってるのか不思議だろう? 所帯を持ってみたが昼の稼ぎが悪くて、かかあに「蕎麦でも売ってこい」ーーなんて言われたのかね。 「おめえさん、なんだってこんな時分にこんな場所で蕎麦屋をやってんだい?」 「……おっかさんを探しているんで」 亭主はほっかむりの隙間からちらりと細い目で俺のつらを覗いて、それきり口を噤んじまった。 ん? 味はどうかって? そりゃあ美味よ。なんたって花巻蕎麦が旨え。 俺のような常連客も付いてね。 よぅく膝がかちあうのは、三味線袋を抱えた姐さんだ。ちょいと吊り目だが、小股の切れ上がった良い女でね。 そんな時分にうろついてんだから、てっきり夜鷹の女かと思いきや違ってね。 「ちょいと人探しでさ」 なんて言いやがる。 大方惚れた旦那にまた会いたいがために、客も取らずに待ってるんだろうよ。 「探してるやつはどんな奴なんだい?」 その姐さんに俺が訪ねた時、なぜか蕎麦屋の亭主がこちらに気をやってるのが分かったよ。 一体なんだってんだろうな。どいつもこいつも人探しでさ。 「ーー旦那は、煙草は呑まれるんで?」 そう聞いたのは姐さんさ。 俺の腰元の煙草入れをじっと見つめてるから嘘は言えねえ。 印伝の巾着からつい先日手に入れた煙管を出して見せてやったよ。 雁首と吸い口に細かい細工をしてあるやつさ。 丈が五寸なのがちぃっとものたりねぇがな。気に入りのやつよ。 せっかく目ん玉の前に掲げてやったのに、姐さんは口を袂で隠して眉をひそめやがった。 「もう下ろしとくれ。匂いがつよくて敵わんわ」 なんでぇただのいちゃもんかいとまた仕舞ったが、「羅宇はどんなのかい」と聞いてきた。 羅宇ってのはな、雁首と吸い口の間の筒の部分よ。 金のねぇ奴は細い竹をてめぇで都合して使うがな。その時のは絣模様の柘植の羅宇よ。 それを説明してやったが、どうも浮かないつらをしやがる。 「旦那は、虎目模様の羅宇の煙管を見たことがないかい?」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!