10人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
羅宇
汐見橋ってぇのは、おめえさん聞いたことがあるかい?
そう。
元浜町の、お稲荷さんの近くの其処だよ。
そこに、暁九つ(深夜0時)になると夜鷹蕎麦がいつの頃からか出るようになった。
深く頭にほっかむりを被って、やけに猫背でボソボソ喋くる男だからどんな爺さんかと思いきや、まだ若い男でね。
なんでそんな男が夜鷹蕎麦なんざやってるのか不思議だろう?
所帯を持ってみたが昼の稼ぎが悪くて、かかあに「蕎麦でも売ってこい」ーーなんて言われたのかね。
「おめえさん、なんだってこんな時分にこんな場所で蕎麦屋をやってんだい?」
「……おっかさんを探しているんで」
亭主はほっかむりの隙間からちらりと細い目で俺のつらを覗いて、それきり口を噤んじまった。
ん? 味はどうかって?
そりゃあ美味よ。なんたって花巻蕎麦が旨え。
俺のような常連客も付いてね。
よぅく膝がかちあうのは、三味線袋を抱えた姐さんだ。ちょいと吊り目だが、小股の切れ上がった良い女でね。
そんな時分にうろついてんだから、てっきり夜鷹の女かと思いきや違ってね。
「ちょいと人探しでさ」
なんて言いやがる。
大方惚れた旦那にまた会いたいがために、客も取らずに待ってるんだろうよ。
「探してるやつはどんな奴なんだい?」
その姐さんに俺が訪ねた時、なぜか蕎麦屋の亭主がこちらに気をやってるのが分かったよ。
一体なんだってんだろうな。どいつもこいつも人探しでさ。
「ーー旦那は、煙草は呑まれるんで?」
そう聞いたのは姐さんさ。
俺の腰元の煙草入れをじっと見つめてるから嘘は言えねえ。
印伝の巾着からつい先日手に入れた煙管を出して見せてやったよ。
雁首と吸い口に細かい細工をしてあるやつさ。
丈が五寸なのがちぃっとものたりねぇがな。気に入りのやつよ。
せっかく目ん玉の前に掲げてやったのに、姐さんは口を袂で隠して眉をひそめやがった。
「もう下ろしとくれ。匂いがつよくて敵わんわ」
なんでぇただのいちゃもんかいとまた仕舞ったが、「羅宇はどんなのかい」と聞いてきた。
羅宇ってのはな、雁首と吸い口の間の筒の部分よ。
金のねぇ奴は細い竹をてめぇで都合して使うがな。その時のは絣模様の柘植の羅宇よ。
それを説明してやったが、どうも浮かないつらをしやがる。
「旦那は、虎目模様の羅宇の煙管を見たことがないかい?」
最初のコメントを投稿しよう!