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「ーーなんだい、それをどこで見なすった? 惚れた旦那の羅宇が虎目模様だったのかい?」
「……会いたくてねぇ」
姐さんは袂でつらを隠したまま、つうっと目を細めた。蕎麦屋の提灯に照らされたそれがなんとも妖しい色があってねぇ。
隠居暮らしの俺でも、ついついくらっと来そうになったぜ。
でもな、くらっときたのはそれだけじゃねえ気もした。
「そうだな……たしか煙草問屋の倅が、そんな模様の羅宇だったかねぇ」
「その旦那には、どうやったら逢えるんだい?」
「なに、日本橋の太田屋に行けばいい。あすこの茂吉ってぇ男が倅さ。
しかし姐さん、相手は問屋の倅だよ。恋慕の邪魔をする気はねぇが、その生業じゃあ泣きを見るのが落ちじゃあねえのかい」
つい俺がそう口走っちまったのは、ヤニの匂いを嫌う女が煙草問屋の倅に懸想とは、ずいぶんと難儀な話じゃあないか。
しかし姐さんは「ありがとうねぇ」と言って暗夜の中へと消えていっちまった。
「俺ぁ余分な事を教えちまったかね」
姐さんの行った闇を見ながら言ったが、蕎麦屋の亭主はだんまりを決め込んだもんだから、俺の言葉はただただ夜風と流れちまった。
この時以来、この姐さんとは夜鷹蕎麦で会う事はなくなった。
ーーそれから暫くしてからだよ。
煙草問屋の倅が、 栄橋のたもとで土左衛門になってめっかったのは。
なにがどうしてそうなったのか分からんがね、俺はあの姐さんが絡んでんじゃあねぇかと思ったね。
惚れた怨みか、心中か。
そこはお釈迦さんでもわからねぇ、ってね。
なんとなしに、夜鷹蕎麦の亭主にもその話をしようって向かった夜のことよ。
花巻蕎麦を食らっていると、三味線の姐さんが現れた。
俺ぁてっきり煙草問屋の倅とあの世で落ち合ってんだと思ってたから、そりゃあ驚いたね。
「姐さん、煙草問屋の倅とは会えたのかい」
むせそうな所を必死こいて堪えて、俺は聞いた。
すると、姐さんはにっこりと笑って「あい」と言う。
「ご隠居さんには世話になったねぇ。虎目模様の羅宇の男と、やっとこさ会うことができたよ」
「おめえさんが、あの倅を殺しちまったのかい」
馬鹿正直に聞いちまった。
あんまり嬉しそうなそのつらが、土左衛門になっちまったのを知っての事だと分かったからね。
それを証拠に、姐さんはまた「あい」と返事をした。
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