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それは一人の青年だった。角刈りで背広を着ていて妙にガタイがいい青年。おっさんに対してえらく謙った態度をしている。恐らくはおっさんの部下なのだろう。あのおっさん重さんっていうのか。
「もう一人の被疑者が意識を取り戻しました」
若手はおっさんに耳打ちをした。
「そうか」
チッ――間が悪い。あの女生きていたのか。
若手の話を聞き終えると、おっさんは俺の方に向き直って口を開いた。
「言い忘れていたんですがね。実はあの事件の被害者はあなただけじゃないんですよ」
「もう一人……ですか?」
「ええ。彼女もあなたと同じく意識を失っているところ救出されましてね。ずっと眠ったままだったんですが、さっき目を覚ましてくれたらしいんですよ」
「……そうですか」
「彼女が言うには、あなたは被害者ではないというんですよ」
「……」
こっちの言葉を待つことなく、おっさんは話を続ける。
「事件の時、あなたはとても急いでいた。そしてそれを彼女に阻まれた」
おっさんの言葉で欠落していた記憶のピースが埋められていく。空っぽの脳にありありとあの日の場面が浮かんでくる。
そう。確か小柄な少女だったと思う。全力で走っていた俺の前に立ち塞がったのが制服を着た彼女だった。どけ、と叫ぶ俺を睨んで、両手を広げて進路を塞いだ。
夕日に照らされて右耳のイヤリングがキラキラと輝いていた。
構うものか。今更、三人も四人も大して違わない。そう思った俺は、持っていたナイフを彼女に向けたんだった。
「いや~凄いですよねぇ。彼女、空手の有段者らしいんですよ。大会とかでも何度も優勝していたらしくて……。上段廻し蹴りって言うんですか、得意技らしいんですよ」
そうか、蹴りだったのか。まったく見えなかった。
少女と距離を詰めると、突然、首筋に衝撃が走ったのだった。ふらついて地面に膝をつくと、続いて手に衝撃が奔り、刃物は床を滑ってどこかへ消えていった。
続いて、少女の靴が俺の顔面を襲う。
痛かった。それで遠のいていく意識を一気に目を覚ましたんだ。
「しかし、いくら空手の有段者とはいえまだ女の子だ。あなたもやられっぱなしではなかった。あなたは彼女ともみ合いになった」
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