第1章

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「おお、だいぶいい具合だ。こりゃあいい儲けになるぜ」  先ほど流れていた音声にしてもそうなのですが、どうにもわたしは言語能力というものを一部欠いているようでした。耳にした言葉を同じ音として頭の中で再生することはできても、それを自分の言語として理解することがどうしてもできないのです。そのため、男がそれから数分に亘って続けた通話について、わたしは一切の内容を呑み込むことができず、ただひたすらその醜く汚らわしい微笑に怯えていました。  男が電話を終えたとき、どこからか流れていた音声の質が変化したことに気が付きました。 「お、やってんな」  と、男が言いました。 「――続いてのニュースです。某大企業が製作した『リアリティをとことん追求したマネキン』を輸送していたトラックが襲われ複数の製品が盗まれた事件では、未だに犯人の特定に結び付く手がかりは得られず、依然捜査は難航しています。このマネキンは非常に精巧に作られており、女性用の衣類を着用させた際に生じる僅かな起伏の差を解消することを目的として製作目標が立てられていましたが、そのあまりの再現性に悪用する者が現れるのではないかという懸念の声も上がっていました。またその一方で、そもそもこのようなマネキンを製作すること自体が不可解な動きであり、中には、某大企業が何らかの組織と癒着しているのではないかという声も上がっています――」  男はニタニタと笑っていました。笑いながら、わたしではないどこかを眺め、それでいてそのゴツい手はわたしの下腹部を擦っています。  わたしは最後に、思い切り動き出すことを試みました。しかし無駄でした。これから先、わたしは一生この男の元で生きていくことになるのでしょうか。食事や水は与えてくれるのでしょうか。それ以前に、わたしの肉体はそのようなものを摂取できる状態にあるのでしょうか。  不安はありません。不安がることの無意味さをわたしはこの短時間の間に理解してしまいました。ただただ期待します。この状況が一変する何かがわたしの身に降り注ぐことを――それが例え幸であろうと不幸であろうと、どちらでも構いません。  しかしわたしは、未来すら憂うことのできないこの体を一生憎み続けます。それがわたしに残された唯一の選択肢でした。
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