観音の救急箱

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 自分の舌から毒を抜き、癌を癒すために叔母が始めたのは、〈読経〉です。  書道の先生という職業柄、写経は毎日のように行っていたのですが、声に出して読むことで、お経が秘めた〝言霊(ことだま)〟はいっそう強く心身に浸透し、毒抜きを助長してくれるだろうと考えたのです。思ったことは即実行に移す叔母。以来、日の出とともに「般若心経」や様々な経典を一心不乱に唱えることを、日課として継続しています。  昔から、僧侶は「長生きする職業ランキング」の上位に位置していたようです。2008年に永眠された永平寺の宮崎禅師は享年108歳でした。ちなみに親鸞は享年91歳。白隠法師は88歳――当時の平均寿命に照らすと、驚異的な長寿であったことは間違いありません。  早起きの規則正しい生活、質素な食事、こまめに動き回る健康的な多忙さ、邪念のない無私の心etc・・・、お坊様がたの暮らしに散りばめられた長寿の要因。中でも大きなウエイトを占めるのが〈読経〉であることを指摘する人は少なくありません。  お経とは、霊力を秘めた聖音のつむぎ――人の五感と魂を結び、全細胞に祈りの姿をとらせる美しい意念の音楽ともいえます。  およそ60兆個ある人間の細胞が、私たちの発する言葉や思念に応じて結晶を変えていく意識体である以上、お経を聞く側より奏でる側の方が、言霊シャワーをたっぷりと浴び、その恩恵を深く享受できることは言うまでもありません。  しかも〈読経〉は、ヨガの〈呼吸法〉と相通じるものがあります。謳いに合わせた長い吐息の合間に、一気に深く行う吸気――文学的かつ音楽的な呼吸法の効能は計り知れません。体内の毒や老廃物が呼気とともに排泄され、無限のプラーナ(宇宙エネルギー)が吸気にのって流れ込んでくるのです。その活発な交換によって、大きな力が存在の底から湧き上がってくるでしょう。  〈長生き〉は〈長息〉の産物なのですね。    毎朝、無心に読経して心身を浄め、まっさらな気持ちでスタートさせる一日一日の尊さに気づいた叔母は、内部から新しい自分が息づくのを感じ始めたのでした。                                       
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