145人が本棚に入れています
本棚に追加
「これ、忘れてました」
これ、とは腰に巻いていたカイさんのカーディガンだ。
すっかり忘れていたと慌てて取り外そうとすると、いつの間に近寄っていたのか、耳横にカイさんの気配。
「駄目」
「っ!」
囁かれた距離に、大げさに肩が跳ねる。
緊張と驚愕に止まる手。
それに満足したのか、すっと遠のいた気配を追うように、視線を上げる。
「家、ついたら外していいよ。それは好きに処分して」
「っ、そ、んな」
「またね、ユウちゃん」
手を振って、カイさんは今後こそ背を向け歩き出す。
丁度フロアの反対側から戻ってきた吉野さんに片手を上げ、足を止めることなく一言だけ告げると、店の扉を開ける。
カランと響く乾いたベルの音。
呆然と立ちすくむオレへと投げられた視線。
「っ」
ふわりと穏やかに瞳を緩めて、唇が言葉を作る。
『きをつけて』、だろう。
最後にもう一度涼しげな笑みを作ると、扉の向こうに消えていく。
魔法の解ける合図のように、再びカランと揺れるベル。
こちら側のフロアに居た数人の女性客達が、頬を染めて色めき立つ。
「……ああー、もう」
へたりと力なくソファーへ座り込み、机に両手をつき額を乗せる。
あんなの、反則だ。
俺の顔は見事に真っ赤だったに違いない。
触れてしまいそうな距離も、意図的に落とされた"全力"の声も。
そして最後に向けられた"あからさま"な表情も、どれをとっても"完璧"で、実に現実味のない"夢"の集大成である。
最初のコメントを投稿しよう!