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『悪いな、古義』
砂が滲み掠れた白線。塗装の剥がれたモスグリーンのバックネット。
呼び止めた一人の男が、紺色の帽子の奥で眉を寄せる。
『お前は動きも素早いし、打撃も悪くない。……けれど、今ひとつ足りない』
何て都合のいいコトバ。
"足りないモノ"と称されたソレをはっきりと口にしなかったのは、この人なりの、優しさだったのかもしれない。
古義はただ、黙って汚れたスパイクへと視線を落とした。
入学時から二代目になる"相棒"は、酷く摩耗している。
この後に続く宣告を、古義はもう、知っていた。
ひとつ大きく駆け抜けた風が、流れ落ちる汗を吸い込んでいく。
『お前を、レギュラーには出来ない』
「っ!!!」
開いた視界には馴染みのある白。
霞がかった思考が自室の天井だと理解するまで、数秒を要した。
荒く乱れた呼吸を無意識に繰り返しながら、古義は首だけを少し横へ。
カーテンの隙間から射し込む光に、悪い夢をみたのだと悟る。
再び首を動かして確認した時計では目覚ましまであと七分もある。
勿体ない、と薄く息を吐き出して、片腕で目元を覆う。
「……さいあく」
この夢をみるのは久しぶりだ。
きっと、昨日の出来事が影響しているのだろう。
脳裏に焼き付いた白球が、閉ざした黒の中で再生される。
手前で沈むように変わった軌道、大きく宙を切ったバット
。沸騰するように熱を生む、自身の胸中。
微かに生まれ出た"迷い"は、就寝の直前まで古義の頭を悩ましていた。
先程の夢は、『もう間違えるな』という警告だったのかもしれない。
あの時指し示された"足りないモノ"。古義自身も薄々気づいてはいた。ただ、耐え難い喪失感に、目を背けていただけで。
それまで"努力"で繋いできた古義の、"全て"を崩壊させた変えようのない事実。
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