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混濁に咲いた花 2
今年の春もそうだった。
『田舎なんて嫌いだ』
卯の花曇りの午後だったか。
なにというわけでもない、その場凌ぎの話題提供のつもりだった。いつかどこかしこを旅行してみたいという、昭美の願望の話。単なる世間話。
ところがその最中、
『でも主人は田舎に憧れてた』
ブロック塀の稜線の上、温みあうように蝟集する民家の屋根屋根を見霽かし、真悠子は鰾膠もなく口を挟んだ。いや、頬と眉が強張っているように見えたので、たぶん腹立たしい気分に冒されていたのだと思う。
もはや愚痴ではない。それが証拠に、
『なんにもない場所に憧れを抱くの。欠伸が出るほど退屈な、辺鄙な場所に』
ふくよかな身体を丸めて草毟りに励む昭美の姿など、見向きもしない。
『自分に都合のいい時だけ自然派志向を気取るのよ。緑の表情がどうだの、空気が美味しいだのって。大して都会と変わりゃしないのに』
リビングの窓辺に車椅子を落ち着かせ、細い左手にレースのカーテンを握りしめさせたまま、ひとりごちるように夫を罵る。握られる左手はいかにも固そうで、よほどの恨みがあると見える。
しかし、
『田舎で生きていける知恵なんてひとつも持ちあわせていない都会っ子が、なにを偉そうに自然派志向を気取って──』
ちらちらと様子見の横目を馳せる昭美とは対照的に、真悠子は絶対にこちらを見ない。
『──気乗りしない私まで巻きこむのか!』
たとえ弁護してみせたところで取りつく島もないとわかる。
そもそも、こんな状態にある時の彼女は絶対に昭美と目を合わさない。いつも遠いまなざしを延々と棚引かせ、まるで現実世界から乖離しているかのよう。
真悠子はすでに、おかしかった。
『強制は、よくないですよね』
怖々と愛想笑いを向けても、
『私はカフェで寛ぎたかったのに』
やはり、素気なく語尾を遮る。というよりも、昭美の声が耳に入らなかった様子。まったく眼中にない様子。
途方に暮れるより他に術がなく、噤むより他に術がなく、忙しなく働き続けるより他に術がない。そして、
『遠出なんかしたくなかったのに』
この時、昭美は思った。自分は、彼女とどれだけ目を合わせてきただろう。いつ、彼女は目を合わせてくれるだろう。なにをどうすれば、どう接すれば、彼女から目を合わせてくれるだろうと。
しかし、沈黙の昭美にはわからない。
確か、風が吹いていた。冷たい微風で、凍える芝生の匂いが苦かったのを憶えている。
孤独のように苦かった。あるいは、
『だって、だってせっかくの……!』
後悔のようでもあったろうか。
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