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混濁に咲いた花 5
竹箒ではうまくいかなかったので、しゃがんで枝葉を拾う。ふくよかな昭美にとっては重労働に値する体勢だが、ここで手を抜くと、また真悠子が機嫌を損ね、あの取りとめのない独白劇を招きかねない。普段は効率重視の昭美だが、ここは忍耐と自戒。
手首となく足首となく、雨露にひたひたに濡れながら枝葉を拾っている最中にも、
「主人の好きな音楽が嫌いだわ」
いち段、高くなっているリビングから、真悠子は庭に不満を投げかけている。縁に車椅子を止め、左手にレースのカーテンを握りこみ、涼やかな秋の微風を跳ね返している。
しかし、今は心なしか楽しそう。美声に厚みがある。
「彼、ジャズなんて紛い物が好きだった」
幼少時からクラシック漬けだったらしい彼女。ポップスやロックに浮気することなく古典を生きてきたせいか、どうやらジャズ自体を毛嫌いしている。確かに、クラシック音楽愛好家の中には、ジャズは音楽の風上にも置けないと考える人もいるという。
「ジャズが音楽をダメにしたの」
ちらと横目でリビングを見あげると、真悠子は精気のない目で垣根のあたりを眺めていた。楽しそうであるとはいえ、やはり乖離しているかのような、つかみどころのないまなざし。
自慢の長髪がわずかに乱れ、額や頬に張りついている。やつれているようにも見える。あとで梳ってやらねばと昭美は算段。
「スウィングですって。笑わせるわ。ノリの文化が音楽を殺したのよ」
演奏が終わってもなおホールに響く余韻まで楽しんで、初めて音楽は音楽として昇華するのだそう。演奏後、すぐに拍手して立ちあがり、喝采を博して見せたがるような自己愛の強い野蛮人に、音楽を嗜む資格などないのだそう。
「単に大人ぶりたいだけなの。彼は」
つまり、この話も幾度となく聞いた。
もはや耳にタコだが、
「格好つけたがり屋なの。子供でしょ?」
透明感のある美声が心をつかんで離さない。まるで、シニカルな劇団のプリンシパルでも観賞しているかのよう。
と、不意に、
「あなたはなにが好きなの?」
舞台上から看板女優が問うてきた。
「好きな音楽は?」
「え、私、は……」
毎度のことながらに唐突の質問。意表を突かれて身を硬直させるも、昭美はすぐに頭の中を整理すると、
「サティですかねぇ。エリック・サティ」
あくまでも勤労を装って応えた。
すると真悠子、いまだ生垣のあたりに視線を預けつつも、あらぁ──と意地悪そうに反応。
「まさか、ジムノペディ?」
「ええまぁ。ありがちですけど」
実は、言うほど聴いたことがない。以前、話を合わせるつもりでハミングを聞かせたところ、そういう題名だったことが判明。どこかで聞いた憶えがあるという程度の楽曲だったが、爾来、質問されればこの曲でご機嫌を窺うことにしている。
「邪道がお好きなのかしら」
なにがどう邪道なのかはわからないが、
「でも悪い選択ではないわ」
ずいぶんと楽しそうな真悠子。
たちまち、昭美の心地も軽妙になる。そして、口先だけではなく、時間があったらちゃんと聴いてみようかと密かに志すのだ。
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