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その夜、少しだけ愛着の湧いてきた白い空間の中、私はひとり”ドアー”の社会的影響について考えを巡らせた。
このテクノロジーは空想小説で語られるような転送装置とは異なり、座標の指定をするだけで地球上のどこへでもリーチ出来るような代物ではない。リーチする先にも端末が必要となる。
しかし今の潮流からすれば端末は限りなく小型化され、そして安価になっていくだろう。企業をはじめ大学などの公共機関や家庭、果ては個人にまでそれほど遠くない日に行き渡るのではないだろうか。
誰も彼もが瞬間的に会うことが出来る世界。
電話はその役割を終え、これまでは物理的な制約から散在せざるを得なかった施設やオフィスが集約されていくことは想像に難くない。人と会うことを目的とした移動も激減するだろう。端末が広まればそれが地球規模で起こるのだ。
国とは、言語とは、法律とは。この世を統べる多くの理に新たな定義が必要となるかもしれない。
そんな研究もはじまりは個人的な想いからだった。
私には妻がいた。結婚してから間もなくに稀覯で重い病に伏せた彼女とは物理的に離れることを余儀なくされた。
研究と距離とを言い訳に私はほとんど彼女の顔を見に行くことはなかった。数少ない面会の度に「心配しないで、がんばって」と彼女は繰り返した。その言葉に甘え逃げ続けたのだ。ベッドに伏せる彼女に他の言葉を選ぶことなど出来なかったろうと想像することもなしに。
そして数年後、彼女は天に召された。
冷たくなった彼女の手を握っても私はその事実を認知することが出来なかった。悲しさに麻痺していたのではない。実感が持てなかったのだ。なんと侘しく、そして小さい男だろうか。
それから時間をかけてゆっくりと、しかし強い足取りで悲しみは私の心に訪れた。
覆水盆に返らず。
過ぎ去ったものを取り戻せることはない。だがもしあの日々に毎朝好きな花のことを語る彼女の笑顔を見られたのなら、毎夜眠りにつく前に私の好きな野球の話で彼女の顔を曇らせられたのなら。
無論、彼女の死期を遅らせることは出来なかっただろう。だが彼女にとっての、私にとってのその限りある時間はどんなものになっていただろうか。
それから私は”ドアー”の研究にとり憑かれたのだった。
ふたりの距離を無くすことが出来たであろうテクノロジーへの到達。ただそれしか頭になかった。
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