千年樹の果実

3/62
前へ
/196ページ
次へ
葛藤というほどに、覚悟を持って決断したのか自信はなかった。ただ、この平常通りの日々に決着をつけたかった。 6月1日、退職願を提出した。所定の様式文書に記名、捺印するだけだ。課長が、 「なんだ突然、理由は?」 とひと言ボソッと尋ねたが 「一身上の都合です」 とだけ応えた。年度末の人事異動の後、賞与の頃には、役職者の退職、異動がある。 一般職の退職願など、容易に受理される。 真面目に、普通に目立つことなく勤めてきた。一身上の都合などという都合の短い言い訳が、今の自分に似合っている気もした。 届けを出した、翌日もその又翌日も、変わりなく出勤し勤務をした。ただ、急激に人も机の周りも色褪せて見えた。ロッカーも引き出しも、それとなく片付け始めた。 無論、ワンルームの部屋も。身軽な一人暮らしと思っていたが、何もかも捨ててしまえば良いものを、迷うと片付けも中断する。案外エネルギーが要るものだ。 週末、上京することにした。とりあえず、頼れるのは香坂だけだった。
/196ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加