お嬢様

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「大丈夫よ。大したことではないわ」 「左様でございますか。出過ぎたことを申し上げました」  彼はそう言うと、小さく目礼をした。  その時、耳に掛けられていた彼の髪が一房、ハラリと落ちた。サラサラとした黒髪が、照明を受けて艶々と輝く。  彼のその全てが、美しく思えた。  思わず見惚れそうになった自分を抑え、私は茶葉の一覧を彼に渡した。 「それよりも。今日はカモミールがいいわ。そうね……それに合わせてアップルパイも頂戴」 「畏まりました、マイ・レディ」  彼は、今度はきちんと礼をして私に背を向けた。キッチンでお茶とパイを用意するために。  私は学校帰りで制服を着ているまま、彼が来るのを待った。  彼は私のお気に入りだ。  雇われの彼には毎日会えるわけではないが、それでも顔を合わせる頻度は他の執事に比べて高い。もちろん他の執事が無能だとかいうことではなく、単純に私が彼を指名して私の世話を焼かせているからだ。  __ああ、幸せ。  日常のほんの些細な出来事など、すぐに忘れてしまう。忘れてしまえる。  お気に入りの彼をそばに置き、ゆったりとくつろぐこのティータイムは、私にとって唯一と言ってもいい心安らぐ時間だ。  周囲の目を気にせずに、のびのびと過ごせる時間。  それは、とても、貴重だ。 「お待たせいたしました、お嬢様。カモミールティーとアップルパイでございます」 「ありがとう。いい香りね」  ティーセットをワゴンに乗せて戻ってきた彼が、それをテーブルに並べる姿を眺める。  実に優美で、上品で、音も立てずに並べる様はとても美しい。  そのあと私は彼と、時々他の執事とも、他愛のない会話をしながら、優雅なティータイムを味わった。  存分にカモミールティーとアップルパイを堪能したあと、私はゆっくりと立ち上がる。 「行ってらっしゃいませ、お嬢様。またのお越しを心よりお待ちしております」  そう言って、まるで花が綻ぶかのように微笑んだ彼に向かって、私も笑って小さく手を振った。 「行ってきます」  池袋の駅から歩いて十分。  そこが私の、幸せの場所。
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