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樫木は日本茶を啜り、梛はペットボトルの炭酸飲料を飲み、ともにため息をついた。詩子が話した記憶喪失のことは軽々しく口にできるような内容ではなく、しかも本当かどうか調べる手だてもない話だった。それでも目の前で切羽詰まったような真剣な表情をしている詩子を放り出すことはできなかった。
「……つまり、私たちに詩子さんを読んでほしいということですか」
「はい」詩子は断られそうな気配を感じて、膝の上で両手を握りしめた。
「確かに、物を読みとることはできますが……梛、どうなんでしょうね?」
「……ぶっちゃけやってみないとなんとも……」
「物をよみとる能力があるなら、人も可能かと思って……。そうしたら、私の記憶喪失のことも何か分かるんじゃないかって」
詩子は頭をさげた。
「あのっ、お願いします! やってみてもらえませんか?」
梛と樫木は顔を見合わせた。詩子がどれだけ必死なのかは伝わっていた。だからこそ安易に承知できない気もしていた。
「正直、物を読みとる能力がそのまま人間にも通用するのか、通用したところで記憶喪失をどうにかできるとも思えない。それでもいいなら」
梛は腕を組みながら冷静に詩子に言った。詩子は大きく頷くと、「お願いします」と再度頭を下げた。それを見た梛は壁から身を起こして、両手にしている手袋を外した。それを見た樫木がかすかに眉をひそめた。
「別の日に改めてでも……」
「そんな余裕、なさそーだろ」
詩子は二人のやりとりに頷いて、「今やってもらえるなら」と梛を見た。手袋を外した両手はなんの変哲もない男の人の手のようだった。
梛は詩子の隣に座った。詩子は一瞬身を固くした。
「……緊張すんのは、オレも同じだから」
詩子は梛の言葉にかすかに赤くなりつつ、大きく深呼吸した。
「お願いします」
詩子は梛に向き合った。梛は目を閉じて、静かに瞑想するような呼吸を繰り返した。そして目を開けると、詩子に「目ぇ閉じて」と言った。そして詩子をじっと見つめたまま片手をその額に、もう片手でその手を握った。少し筋張った大きな手に包まれると、なぜか安堵できるようだった。
「深呼吸して」
掠れ気味に低く囁く声に、詩子の胸の奥が変な音をたてた。慌てて深呼吸した。
「自分に集中して」
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