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軽い足取りはやがて小走りになった。下駄箱を抜け、詩子は社会科準備室の扉を「失礼します」と勢いよく開けた。その音に、ゆっくり梛が振り返った。
「お、おはようございます!」
詩子は挨拶もそこそこに呆気にとられているかのような梛の前に立つと、一息に言った。
「あのっ、昨日はありがとうございました。でもやっぱり、あなたが言うことは嘘だって可能性、ありませんか?」
朝起きたら家は自分の家に違いなかった。母は自分の母で、父も兄もそこに自分の血縁として存在していた。いつもの慌ただしい詩子の家の今朝の光景は、詩子が毎日身を浸してきたものだった。自分の記憶が欠けてきているとしても、間違いなく自分の家だと認識できた。
「……いきなり走りこんできたと思ったら……」
あきれたように梛はイスから立ち上がって、詩子に近づいた。ちょっと後ずさった詩子の脇を通り過ぎて、準備室のドアを閉めた。
「あのさ、オレはいい加減な仕事なんてしないし、自分の仕事に自信あるから」
「でも! でも、私の記憶が塗り替えられているなんて」
言い募ろうとした詩子を遮るように、梛はイスに深く座って足を組みながら一言言い放った。
「図書室」
詩子の口が「あ」の形に開いて、視線が泳いだ。
「夕陽が差しこむ図書室。たぶん図書館じゃなくて、学校のだろう。机の上に本があって、詩子はそれに近づいた。オレが視た記憶の一つだ」
読みとってもらっている時に見た、詩子しか知らない夢だった。いつもの夢は青年がいた。でもあの時だけは青年はいなかったのだ。代わりに読んでいた本が机の上にぽつんと置かれていた。
口をつぐんだ詩子を梛は鋭い目で見やった。
「だいたい失礼だろ、依頼してきたのはそっちだ。オレは忠実に読みとったことを言った」
何も言えなかった。
詩子は俯くと、取り戻したばかりの自分の自信を失いながら「ごめんなさい……」と呟いた。
その姿を見ていた梛は、小さくため息をつくと「どうする?」と問いかけた。顔をあげた詩子を痛ましそうに見つめながら繰り返した。
「どうする? 真実に近づくには勇気がいる。いいよ、ここでおりたいならそれはそれで構わない。決めるのは詩子だ。真実を知りたいなら手伝う」
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