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母親がいた頃、すぐに機嫌を悪くする父に殴られたり、髪を掴まれ引きずられたりした。兄がすぐに間に入って止めてくれて、ムキになって歯向かう俺に「もっと要領よくやれ」「うまく付き合え」と言った。
俺には上手くやることの意味も、どうすれば上手くやることなのかもさっぱりわからなかった。心を殺して生きていくことを意味するなら、どうでもいいと思った。母が出て行った後はぴたりと収まったから、きっとストレスが溜まっていたんだろう。
一緒にいても家族は壊れていた。だから当然行き着く結果に落ち着いたのだと、母がいなくなって寂しく思うより、誰もが無理をするよりよかったと思った。
ニホンはずっと遠い国だ。言葉は喋れるけどひらがなしか読めないし、そのひらがなも書けない。自分を日本人だと思ったことは一度もない。でも、ユイと一緒ならニホンに行ってみたい。
「それで『ユイトさんを俺にください』って、ご両親に言うんだ」
「はっ?ゆひと、って言えてないし」
「そこかよ…」
ハ行の発音にはいつまで経っても慣れない。兄や父とも他人を交えて話すことが多いから、普段の会話はほぼフランス語で、こんなに日本語を話す機会があるのは母親がいた頃以来だ。父親が日本人との付き合いを嫌っていたこともあって、ほとんど知り合いもいない。
日本人の恋人と暮らしているなんてちょっと不思議な気分だ。
散歩から帰ってきて冷えた白ワインを開け、グラスを傾けながら、なんとなくユイにそんな話をした。ユイはいつも通りからりとしていて、打明け話みたいに捉えられなかったことにほっとした。この話に事実以上の重さを付け足したくない。
「くださいって言っていいんだ?」
「ルイは俺が止めたとしても言うんだろ。うちの親は俺がゲイなのずっと前から知ってるし、変な外国人がなんか言ってるなって相手にされないと思うよ。実家の近所で派手にキスでもしたら大騒ぎだろうけど」
「じゃ、それやろう」
ユイは笑っているだけで、本気にはしていない。まずニホンに一緒に行くことからして何の予定も目処もない。実際、近しい人の前でキスをしたらユイはどんな反応をするのか想像してみたけれど、よくわからなかった。軽く流しそうな気もするし、すごく怒りそうな気もする。
そして冗談ではなく、俺たち本当に結婚できるんだよ、という言葉を飲み込んだ。
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