メトロ side : Yuhito

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数日前から地下鉄構内の地図を作るアルバイトをしている。日本人に向けた携帯アプリ用の乗り換え案内を作るためらしい。『ブラック』と呼ばれる日雇い労働のようなこの仕事は、きっと下請けの下請けのさらに下請けの下請けだ。 嘘であれ本当であれ、名前と電話番号程度の情報を渡しただけで簡単に仕事にありつける。通常、外国人は労働許可証がないと短期のアルバイトもできない。パン屋だってベビーシッターだって。それでもいろいろな手間を省いて人の手を借りたい人は多く、違法の仕事は山ほどあり、『ブラック』と呼ばれる。『ブラック』には搾取されるようなキツくて報酬の少ない仕事も、楽で実入りの多い美味しい仕事もある。今回の日本円で日給一万という報酬はかなり割のよい方に入る。 仕事はひとりきりで単純だ。地下鉄網を歩き回り、乗り換えや出口までの全てのルートを把握し、所要時間を計る。1分で80メートル歩くことを基本にし、時間短縮のために1,5倍の速度で歩き測定している。 こんなものが意味を為すのだろうか。1,5倍、一応歩いてどの程度のものか確かめてはいるが、自分の体感速度に他ならない。人の流れをするりと泳ぐように上手くかわして足を早める。危険を避けるため構内の表示を見るためには絶対に立ち止まらない。視力がいいので一瞥しただけで表示を見分け、その中から選ぶべき道筋をすぐさま判断できる。 観光にやって来た日本人が、この速度で雑踏の中を移動し、乗り換えをこなせるかは甚だ怪しい。だいたい日本人は気にしすぎる。どの車両に乗れば、どのルートを通れば最短で移動できるか、とか。そんなことを携帯で調べる暇があったら、地下鉄に乗る前に降りるべき駅と乗り換え路線を確実に記憶しておいたほうがいい。スマートフォンを手に歩いていたらスリに遭うか、最悪人気のない道まで後をつけられるのがオチだ。 地下鉄構内の地図なんて確実に存在するであろうに、非公式で作られた曖昧な測定に頼るこの携帯アプリがどれだけ浸透するのだろうかと疑問に思いながら、緊張感を保って一日中地下を歩き回り、適当なやり方で地図を作り上げていく。結局この仕事の結果などどうでもいいと思っている。どうでもよくないことなんて自分の人生にはほとんどない。
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