第1章

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 電車のメロディを思い出しながらもう一度歌ってみた。浴室に自分の声が響く。なんだ、結構いい声してるじゃないか。 それにしても、どうして僕は「おかえり」と歌ったんだろう。家に帰るんだから「ただいま」と歌えばいいじゃないか。語呂が悪かったのだろうか。合点がいく答えを思いつけないまま風呂からあがり台所に行くと、妻が起きていた。 「座って。味噌汁あっためてるから」  冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プルトップを立てる。 「出してるグラスある?」 「あー、もう洗っちゃった」  ならいいよ、と言って缶ビールでのどを潤した。 「たーだいーーまー」  妻の背中に向かって歌声を披露してみた。どうだ、意外といい声だろ? 「やめて。ミナトが起きちゃうじゃない」 「はい、すいません」  いやそれもそうなんですが僕の声意外といい声じゃないですか? と聞きたかったが、怒られるのも嫌なので大人しく席に座った。  温めた味噌汁のお椀をテーブルに置くと、妻は僕の向かいに腰かけた。 「おーかえりー」  妻は小さな声で歌い、笑った。それだとメロディと歌詞が合わないよと思いつつ、自分で「ただいま」と歌った理由がわかった。きっと妻と息子からそういってほしかったんだ。こんな遅くに帰ってきているのに、まったく、贅沢な人間だ。
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