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文庫本に視線を戻す。海外の冒険小説の翻訳本で、カタカナの人物名がなかなか覚えられない。複数の人が会話をする場面では、だれがどのセリフを言ってるのかが段々とわからなくなって眠気を誘う。この本を読み切ったら、気楽に読めそうな日本人のエッセイを買おう。カタンカタンというレールの間を通過する音が少し間隔を広げてカタン、カタンと聞こえた。
「まもなく、横浜。横浜です」
文庫本から視線を上げた。窓の外が暗い夜の風景からホームに立つ人々の表情に変わる。文庫本をしまうときに前の席に座る人を見た。ちゃんと起きていることを確認してなぜかほっとしてしまった。
扉が開き、降りる人の流れに乗って電車を降りた。そのまま駅のホームに立ち、各駅停車を待つ。横浜駅に立つと、すっかり帰ってきた気分になる。ここまで来ればもう居眠りする心配もないし、電車が何かのトラブルで止まってしまったら家までは歩いて帰ることだってできる。時計を見ると夜の十一時をまわっていた。もう息子と妻は眠ってしまっているだろう。発車のベルを聞きながら、長いまばたきをするようにすっと目を閉じた。
フールルルルルールゥ
快特電車が横浜駅を出発する。車内にいるときよりも、ホームにいるときの方が電車の出すメロディがしっかりと聞こえた。
おーかえりなさーいー
京急久里浜に向かう快特電車を見送りながら、今聞こえたメロディに歌詞を乗せてみた。視線の先にいたサラリーマンに見られて目が合った。恥ずかしくて咳ばらいをして顔を伏せた。僕は声に出して歌っていたのかもしれない。そう思うと恥ずかしさで背中が熱くなった。
到着した各駅停車に乗り込み、戸部駅で降りた。警察署の前を通り過ぎ家の扉を開けると、息子は寝てしまっていたが妻はまだ起きていた。
「遅かったのね」
残念がりも喜びもしない声で妻がいった。
「遅くなるって聞いてなかったからご飯作っちゃったんだけど、食べる?」
「うん、でもその前に風呂入るよ。汗かいちゃったと思うし」
「汗? ……ふーん、そう」
理由は聞かないで。恥ずかしいから。
「ありがとう、先に寝てていいから」
逃げるように脱衣所に向かう。おいだきをしながら湯船につかった。お湯の出てくるところだけが熱くなるので足でかき回す。
「おーかえりなさーいー」
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