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「無から神が宇宙を造った」という言明は、無から有が生まれたことの説明としていくら主張しようと、非科学的な主張である。
更に広く「世界」を捉えると、「天帝」と呼称される存在(カトリックにおける「神」)が、造物主であり、かつて存在した「楽園」の主だったが、ヒトによって天使と天帝が楽園から追われてしまったという物語が明らかになっている。
しかしながら、現代日本社会において「神」に該当するような画一化・絶対化された「もの」は存在しない。「神」を現前させ、民衆をその支配下に置いている。
答えは必ずイエスとなる。しかしながらこの定義は格差問題や多様性の問題に焦点が当てられている社会の現状と合致しない。生きることだけを目的とする技はこれらの問題と格闘する術を内包できない。
時間的空間的制約によってわれわれを縛っている人間的条件からの一時的な離脱となる。たえず失われていく現在の瞬間の連続のなかに閉じ込められている状態から解放される瞬間、人は永遠のなかに生きていることになる。
「神への愛」は、親に対する愛と密接な関係にある。はじめ母なる女神への依存があり、次に父性的な神への服従となり、成熟すると、神と合一し何も求めなくなる。
何か力を感じなかったんですよね。あるがままに、と言うか。出来上がってしまったものに合わせていく雰囲気がありました。
考えれば考えるほどわからないことばかりで、結局のところ確実にわかっていることなんて何もないような、開き直ったような気分になる。
※本文は5/1開催の第22回文学フリマ東京にて頒布される『invert vol.3』所収の論考・対談等から引用し再構成されて作られた作品です。
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