第1章

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物語が語り手を通して伝わっていくこと、それ自体が物語と同等の意味や価値をもつ。古野まほろが、水里あかりが、島津今日子が物語を語るとき、彼らは視点人物であるというだけではなく、その世界がどのようなものなのかを定義づける重要な存在なのだ。それらの作品は、もちろん作家・古野まほろによる物語でありながら、同時に、語り手であるキャラクターたちの物語となるのだ。 かつて、天動説が思考の枠組みとして君臨していたころは、複雑な惑星の動きに対して「周転円」や「エカント」といった補助仮説を駆使して説明を施し、かつては地動説より精密に惑星の運行を記述していた。そのような補助仮説が累々と積み重なった天動説よりも、地動説はよりシンプルな説明を与えたため、地動説が受け入れられることになった。天動説から地動説へ科学の主流が動いたことは、二十世紀のアメリカの科学史家トマス・クーンが提唱した「パラダイムシフト(思考の枠組みの大転換)」の最たる例である。 東京タワーは何もないところに「光あれ!」みたいな形でできたわけですからね。スカイツリーとは違う。 しかし、この点だけを見て「相撲は単純なスポーツだ」と考えてしまうのはいささか早計です。なぜなら、相撲はその取組の開始(立ち合い)の瞬間から勝敗が付くまで、結局は相手の身体を倒すか土俵外に押し出すかのどちらかというシンプルな目的に向かって、常に複雑な要素のなかで瞬時の判断をし続けなければならないからです。つまり、取組中の力士は自分と相手の身体の動きや土俵の俵との位置関係などさまざまな材料を判断し、勝つため(押し出すか、倒すかするため)の動作を取らなければならないのであって、それがいかに複雑なものになるかということは、いささか筆述しがたいものがあります。しかしそういった点から見たときにも、やはり「型」は重要になります。判断が瞬間的かつ複雑になればなるほど、その時に自分にとって最適化された動き、つまり「型」があれば、勝つ可能性が高まるのです。
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