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「ああ、それです。なるほど以外にも有名なんですね」
僕は信じられないような思いで、彼の肯定の言葉を聞いていた。
自動車の前輪が水溜まりに差し掛かり、水しぶきを上げる。飛び散った水滴が、陽光を受けて刹那の煌めきを放った。
目的地へ着いたのは約束の三分前だったが、まだひな乃の姿はなかった。僕は浜井さんに繰り返し礼を云って、遠ざかるワゴン車の背を見送った。
そして予定の時刻恰度に、ひな乃が花柄のスカートをはためかせながら現れた。彼女は挨拶もそこそこに、悪戯っぽい笑みを浮かべて云う。
「ねえ、今日が何の日だか憶えてる?」
僕は元来記念日の類いを記憶するのが不得手だったから、まったく見当がつかなかった。彼女はからかうような上眼遣いで、僕の困惑した表情を見つめる。
「あのとき原稿の入った封筒を電車に忘れてたら、コンテストで入賞なんてできなかったんだよ」
突然の告白に、僕はまともな言葉を返すことができなかった。そしてゆっくりと、だが鮮明に、あの日車窓の向うに覗いた顔を思い出す。
ひな乃は照れたように笑いながら、云った。
「今日は、出逢ってから一年記念日なんだ」
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