冷たい街の温もり

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   1 硝子窓をゆっくりと伝う雨滴を眼で追いながら、手許にコーヒーがあるのも忘れて、僕はまたあの日のことを思い出していた。横浜の街は、春の香りを包んだ静かな雨に濡れ、穏やかなまどろみの底にあるようだった。 あの日――。 赤地に白い帯をまとった車輛が、雨にけぶる彼方へ消えてゆく。まるで絵美との思い出までもが霞んでゆくような虚しさを覚えながら、僕は次の列車がやって来るまでホームにたたずんでいた。 カフェは車道に面しているはずだったが、あのとき絵美を乗せて品川駅へ向かった京急の赤い車体が、いま眼の前を通り過ぎてゆくような感覚を僕は覚えた。あれからもう十箇月が経ったというのに、全然忘れられないでいる。 「自分の気持ちが、判らなくなっちゃったのよ」 大学二年生になって間もない、四月のことだった。ふたりとも出身は横浜であったが、絵美は都内の私立大学へ通うため、品川に居を構える祖父母のもとで暮らしていた。僕は県内の国立大学に進んだから、実家で生活している。彼女は時折り思い出したように故郷を訪ねることがあったけれども、恰度その日も前日にいきなり連絡があり、急遽会うことになったのだった。 僕たちはたくさんの観光客に紛れて街を遊歩したが、彼女はいまひとつ元気がなかった。そのとき僕の胸中に巣食っていた不安な心持ちを、いまでも鮮明に憶えている。なにか厭な予感がしたのだ。 そうして案の定、別れ際に彼女は打ち明けたのである。自分の気持ちが判らなくなったのだ、と。 僕はすぐに返事をすることができなかったから、少し待ってほしいと伝えた。その間に彼女も考えを改めるかもしれない、そんな期待も抱いていた。しかし、それから一箇月が経った五月のある日にまた突然の来訪があり、そうしていよいよこれ以上引き延ばすわけにもいかない、別れてほしいとはっきりと告げられたのである。 最後の見栄で、僕はそれを潔く受け容れた。いろいろと問い質したところで曖昧な答えしか返ってこないだろうし、ここで決着をつけるのが互いのためだと判断したのだ。 その日は朝から暗雲が横浜の街を覆っており、午後になると気だるく湿った春風が吹きはじめ、街全体を柔らかく包み込むようにして雨が降り出した。静かな雨音に閉ざされた夕方の街を、横浜駅へ向かって歩いた。
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