プロローグ

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「私の人生、最低限度の労力で最大限度の結果を出すには、もう子供の面倒を見ている時間なんて無いの」  四月初旬の夕暮れ時――。西日を背にした女性の顔は逆光で見えない。不意に凪いだ風が長い髪を靡かせると同時に首元を押さえる仕草が空気の冷たさを表している。 「渉、あなたはあなたの為に結果を出すの。誰かに認められるだけの結果を出したところで意味なんてない」  女性は踵を軸に身体を反転させると追いかけてくる少年に言葉を投げかける。パンツスーツに身を包んだ彼女はその身に纏う衣装と同様に決意も固いようだった。  揺らがない――。それは風に吹かれる身体だけの話ではなく心も同様――。  家を背にした女性はそのまま迷いなく歩き出す。少年の手には百点のテスト用紙がくしゃくしゃになって握りしめられていた。母に褒めてもらおうと取った百点だったのだろうか――今やいらない紙屑のようになってしまっている。 「どんなに頑張ってもらったところで、私にはあなたたちは必要ない」  冷たく突き放すような言葉は突き放すというより寧ろ突き刺さると言った感じで、言葉の棘に貫かれた少年はペタリと地面に座り込む。冷たいアスファルトに力なく腰を付けた少年の顔は西日を真正面から受けているにも関わらず暗く――絶望した表情を浮かべていた。 「時間だけは待ってくれない。渉も心に刻んでおきなさい。もし渉が将来――」  次第に音が無くなっていく――。遂には最後の言葉を聞き取ることはできなかった。音が完全に消えると、次は色の無い光がモザイクのようにすべてをかき消していく。建物も地面も空さえも――。光の中に消えていく女性を見つめて少年は力無く膝をついた――。
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