彼の声。

1/4
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

彼の声。

“名前って、生まれてから一番最初に両親がくれる愛情なんだよ” そんな話を、いつ聞いたのだったか。私が生まれたとき、両親がどんなに喜んでいたのかも私には思い出しようのないことだけれど、そんな言葉を聞いて、大切な一生の贈り物を私はもらっていたんだと気付けたのは、物心付いただいぶ後のことだった。 そして今、私のことを違う名前で呼ぶ人がいる。 「あーつこ」 電話越しに、これでもかというくらいの明るい声が聞こえる。ちなみに私の名前は茜なのだが、彼は私をそう呼ぶ。彼とは、たまたまインターネットを介して知り合った。暇つぶしに何となく見ていた掲示板で他愛もないやり取りをしているうちに、いつの間にか私の相談相手をしてくれるようになった。 「今日は仕事に行けそう?」 優しい声色でいつも私を気遣ってくれる。まだ、会ったこともない人。 「今日は行けそうだよ。いつもありがとう、健人くん」 私はここ数年、職場の人間関係に揉まれ神経を磨り減らしたのか、体調を崩してよく仕事を休むようになっていた。そんな私にいつも、 “あつこなら大丈夫だよ” “アドバイスはできないかもしれないけど、いつでも応援してるから” そう声を掛けてくれていた。 夢と希望を抱えて田舎から上京してきた私にとって、都会の柵(しがらみ)というのは思っていた以上に私を追い詰めていた。彼の言葉は、そんな私の背中をいつも押してくれる。 「そういえば、お酒、少しは飲めるようになった?」 ふと思い立って、私は彼にそう尋ねる。同い年の彼は、付き合いで飲む機会もあるというのにお酒が得意ではないようで、ここ最近毎日、家で一人でお酒を飲んで練習をしているのだという。お酒はそこそこ飲める私には、そんな健気な彼がひどく可愛く映った。男の人相手に可愛いというのは失礼なことかもしれないけど、と彼に言うと、それが売りだからねー、なんてまた可愛らしい言葉を返された。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!