徳慈郎の幻 壱

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徳慈郎の幻 壱

   正午は散歩の折りのこと。  御年九十歳、徳井(とくい)徳慈郎(とくじろう)のわずか五間の鼻先で、()()は遠慮なく発生した。 「じゃあ。はいこれ」  学生の本分もすっかりと放棄し、人気も疎らな広場の片隅で、茶髪の女学生は半ば強引に桃色の箱を手渡したのである。そして、彼女と対峙する黒髪の男子学生のほうはというと、 「ん。ありがと」  素気なく謝礼を述べたのである。  白い木洩れ日がいっそうに肌寒さを引き立たせる、末枯れた公園である。  女学生のあの態度こそテレビジョンに囁かれる「上から目線」なのであろうか。貴殿(あなた)のために計らってあげてよ?──得意そうな角度が、頭の先から足の先に至るまで縦横無尽に見て取れた。  一方の男子学生は、照れている面持ちは瞭然ながらも、突発の驚愕は微塵もなく、むしろ期待していたふうにも感じられる。もしや、譲渡されなかったほうが()の驚愕に値したのではあるまいか。 (うむ。噛みあっておるようでまったく噛みあっておらぬではないか)  徳慈郎の目には奇天烈な光景と映った。しかし、斯様なる光景が、本日、日本全国の津津浦浦にてごく当たり前のように展開されているのだと聞く。  にわかには信じがたいが、天下の国営放送報道番組にさえも重ねて報じられていたのだからおよそ真実に違いあるまい。そうすると、問題は、ぜんたい、その光景に臨むことに如何なる意味があるのか?──となる。この一点だけが徳慈郎の命題となるのである。  しかし、 (ううむ。さっぱり解せぬ)  如月は十四日のことである。  己の誕生日でなければ、況して妻の命日でもない。戦友の命日でもない。ひとまず終戦記念日ではない。徳慈郎にとってはごく平らな日である。友引と並ぶほどに凡百なる日なのである。仏滅や赤口も同然といわんばかりの世間の賑賑しさに触れるにつけ、ゆえに実感としてコトを語るには圧倒的になにかが足りないと気づかされた。  そこで徳慈郎は、滅多に訪れぬスーパーマーケットの敷居を跨ぎ、亡き妻によって正された倹約の定款に背馳するがごとく、わしゃわしゃと五月蝿いビニル袋を抱えて帰宅した次第である。次いで妻の書架を認めてみたのだが、剣豪小説の醍醐味しか味わわぬ彼のこと、適材の専門書と出会うことは叶わず、ならば神保町をも巡っておけばよかったかと慚愧の念に駆られている次第である。  とまれかくまれ運動を起こすべく、箪笥に眠っていた妻の割烹着を装備する。大柄な体躯の徳慈郎には熾烈の束縛、息をも殺がれる艱難ではあったが、幼年期より強く教育されてきた禁制を破る以上は覚悟の忍耐とせねばなるまい。徳井家の史上初、日本男児が厨へと越境する愚かなる瞬間なのである。  まずはビニル袋の中身を調理台の上にあける。大正製菓(たいしょうせいか)『ショコラータの雫』と銘記されるただの一品である。わずかこの程度のためにビニル袋の消耗される実情を嘆いたことはあったが、いざ土俵にあがれば断る交渉術がまるで思い浮かばず、当意即妙のトの字にも恵まれないままに次なる賓客へとバトンタッチ。その無情なる鈴生りの千客万来、内無双に転がされた日本男児のなんたる惰弱さであったことか。あるいは、ゆえにての女の戦場となられしか。  それにしても、拙速な寸評が躊躇われるほどの熱情を付帯させる血色の箱である。さすがに「ショコラータ」の意味はトンと解に及ばぬが、しかし「雫」と銘打つにしては激情に過ぎた血色であろうとおぼえる。それならばいっそ『樺太(サハリン)の血潮』あたりでちょうどよかったのではあるまいか。  やおらに箱を開梱。内から銀の包装紙に養生された板を取り出す。この手の商品を知らぬでもない徳慈郎ではあったが、こうして改めて触れてみるとなかなかに気色悪い代物である。どのように田畑(でんぱた)を耕してみたところで斯様なる容姿に育つ作物を彼は知らぬ。況んや仮に育つのであればなおさら手にするも悍ましい。これはもしや蘆屋道満の(まじな)う式神の素材なのではあるまいか。 (阿弥陀如来の御膝元でよかった)  謎めく銀色の御札を左手に、換気扇のあたりに視線を預けて惚けながら徳慈郎は安堵の色。 (あぁいや。善は急げなり)  無論である。本日以内でなければ真意を悟ることなど不可能やも知れぬ。明日を迎えては後の祭、来年を待たねばならず、しかし来年の今頃を徳慈郎が生存している確証もない。愛妻も朋友も、みな逝った。  ぼうとしている猶予はない。性急な指で躊躇なく、ぱりぱりと銀紙を破く。保存のためにしては脆弱な養生材である。しかしてついに、焦茶色に妖しく輝く、生温ささえも体感する摩訶不思議の板を取り出した。 (む、むう!)  なんと面妖なる板であろうか。  その容姿は、重油や火薬にひりつく昔年のトラック諸島を想起させる。碁盤の目のような表には、製造元の略称であろうか『TAISEI』の文字が刻印され、敵に味方と十把一絡げ、尾翼や機体番号の散らばる夏がありありと脳裡をよぎる。忌忌しき反芻が止まぬ。こうして洋菓子を手に樺太だなんだと茶化さねば、とてもではないが正常にしておれぬ。復員してもなお徳慈郎は、散華せし悉皆に安眠を酷遇され、喉仏をあげては終夜「おおいおおい!」と魘されたものなのである。そして、それを宥めるのが妻であった。  思いかえせば、妻を喪いしてより悪夢を見ておらぬ。昨年末だったか、息子兄弟に指摘されてようやく自覚したが、ならば残らず彼女が持っていってくれたのか。 (俺の平穏なる朝は、妻をなくしてはあり得なかったのであろうか)  もはや復員も当たり前の過去となってはいるが、なるほど、幾度となく極地に見た幻は、確かに妻でしかなかったか。 (いや。紛れもなく妻があればこそだ)  朝餉の味見を頷く女であった。  この面妖なる板を片手に、ふと、妻の囓る姿を想像してみる。貞淑な女だったからきっと細かに割ったのやも知れぬ。割かぬ食べっぷりはGHQの蛮勇だけで充分である。 (そうだ。細かくするのだったか)  九十年も生きていればまず大抵のことは耳に入れている。あとは顧みる体力というだけの話であり、ゆえに、いまだ耄碌しておらぬらしい己が誇らしくも思えた。しかしながら、その大半の蘊蓄が妻によって得られたものであるからして、思いの外に消極的な人生でもあったかと一喜一憂する徳慈郎である。 (ええと。包丁で刻むのだったか)  銃剣以来と言っては大袈裟だが、やはりほとんど握ったことのない包丁をシンクの下から取り出す。こんな凶器を毎日毎日、親の仇のように握っているとは、主婦とはなんと恐ろしい武人(もののふ)であろうか。 (道理で勝てぬはずだ)  凶器を片手に愛情を注ぐ──いみじくも成立した矛盾に勝てる術なぞあるまい。  ひとつだけ嘆息してから徳慈郎、ごがん、ひとまず中央のあたりで叩き割ってみた。そして、だったら手でもよいのではないかと考えなおし、いったん包丁を置くと、岩のような指先でぱきぱきと割ってみる。 (割ると刻むは意味が違う)  思いがけずも惹起された国語の教養に、ふふんと笑みを浮かべながら割れるところまで割る。山よりも谷のほうが上手に割れる。軍師、太公望の神通力を垣間見る。  チンチロリンの骰子ほどの大きさにまで割ると、改めて包丁を右手にし、歪な出目に諸刃を宛てがい、 (おおっと敷き物をせねばな)  慌てて俎板も取り出す。あくまでも自己満足に過ぎず、寄贈意欲など毛頭ないが、最終的に己の口に入るであろう代物である。雲助の気紛れな実験であるのならばますます用心するに越したことはない。  再再度、包丁を握る。しかし、なんたる重さであろうか。一糸一毫の揶揄を挟むことさえも躊躇われる、ここに歴史ある充実感の権化である。 (ふ。まるで鯉だな)  俎板の上に覚悟を強いられているのはむしろ己のほう。調理器具のひとつも使い熟せず、不器用に生きてしまった。  対して、調理師免許の誇示もなく黙黙と家族を地盤から支えた妻の、なんたる器量よしであったことか。人を支えることができて初めて「(うつわ)」というのである。合理性に傾倒し、ただ淡淡と物事の計られる所作のことを断じて「器用」とはいわぬ。淡淡ともいかぬ徳慈郎に至っては、況して勝鬨の声をあげる契機すらも読まれぬ始末。  ほぼ廓然大悟し、固唾を飲んでから俎板へと挑む。やはり包丁は重いままである。  緊褌一番、岩壁に沿って片刃を立てる。ごごごり。想像以上に硬い。なんとなし研いでいるような錯覚さえもある。  微塵と化していく骰子、と同時に、精神までもが研ぎ澄まされていく静けさ。甘美なる香りに脳味噌も活性化、妙なところで集中力のある徳慈郎は、暫時、このやり方で正しいのだろうかという疑念を失した。  三分、六分、九分──代わり映えもせぬ作業を黙黙と繰り返す。そうしてあらかた粉末とし終えた段には、指先といい、掌底といい、機動力の要が油っぽい不快を帯びていた。まさか油っぽくなるなどとは夢想だにしていなかった。  試しに右の掌を嗅いでみる。持て成しもなにもない、朴訥とするだけの甘ったるい香りである。 (黒豆とは違うのか)  原材料はおよそ豆であろう。しかし、妻の織った煮物にもここまでの油は含まれていなかった。黒豆と枅と人参とを和えた、噛めば噛むほどに大地の豊穣が広がる、()に壮健なる煮物であった。 (身体のためなのか)  確かに質素倹約の妻ではあった。が、調理油の使用を躊躇する理由までは果たしてあっただろうか。あったとすれば、やはり家族を支えるためにか。我等が健康のためであったのか。なにも語らず、上から目線も落とさず、さも普遍である光景のようにした彼女の静寂(しじま)の計らいに際して、ならば、己が驚愕のなんたる淡さであったことか。  かつては不細工の(めご)かった、今や恰幅ばかりに目を見張る豚児らと共共に無病息災、頭皮こそところによって禿()びてはあれど、いまだ瞠若を集めるロマンスグレー、そして腰を曲げたほうが草臥れるほどの九十歳なのである。  なんたる手弁当。 (くッ。あの器量よしめ!)  きゅうと締めつけられる胸を堪えながら、徳慈郎はその苦しみから逃避するように忙しなく手を洗うと、次なる手順を思案。 (ええっと。確か、や、ゆ、ゆさ、ゆし、ゆす、ゆせ、ゆそ……ゆせん!)  湯煎である。湯煎にかけるのである。伊達に九十年も生きてはおらぬ。が、やはり妻によって記憶とした蘊蓄だったかと思うと、畢竟するに一喜一憂するしかない徳慈郎。 (湯煎にかける。で、なにをカケル?)  落ち着きもなく調理台をきょろきょろと見渡す。なにを、どうやって、なんのためにカケルのかがチィとも想像できぬ。なにか相応しい按配はないものかと、まさにテレビのリモコンを探すように見渡す。 (カケルだと? カケルとはなんだ!?)  そもそも「湯煎」の意味がわからぬ。もっといえば、なぜ細かく砕かねばならぬのかの理由がわからぬ。いったい己はなにを、 (なにを目指しているのだ……!?)  まったくもって青写真が浮かばず、ここにきて俄然と狼狽する徳慈郎。そうするものだと教えてくれた妻の姿が、まるで恩返しの鶴がごとく疎遠に感じる。 (妻よ。君に語られた献立とはいったいなんだったのだ!?)  木偶の坊に蒼白となりながらも、徳慈郎は鉄鍋を出して湯を沸かしにかかった。湯煎と読むからには、きっと湯を使うのである。 (湯煎の煎は、煎る……ヰル!?) 「煎る」とは、火にかけ、水分がなくなるまで煮詰める術を指す。その程度のことは認知しているし、なにしろ若かりし頃には妻と茶葉を煎ったものである。ガスコンロを挟み、鉄板に茶葉を落とし、焦がさぬよう菜箸で丹念に掻き雑ぜるのである。互いに汗を流しながら、時に大相撲中継に目を奪われながら、(まわ)しの手が止まってございますと冷やかされながら、談笑の片手間のように煎ったものなのである。 (それを、湯でか?)  半信半疑に上半身を傾げながら、徳慈郎は刻まれた茶色い粉末を右手にする。そして、岐阜は郡上八幡の徹夜踊りか、睡魔もなにするものぞと奮わんばかりに踊りはじめた水面へと、ついに清めの塩よろしく撒布したのである。 (こ、れで、よいのだな?)  今さらながらの五里霧中に惑いながら、いよいよ水面の猛り、茶色く染まっていく湯を見つめる。まったくの出汁である。ならば具材はなんであったかと鑑みたところでさすがにそこまでは聞かされていない。  俎板へと滑らせながら残る粉末も投入。すると、漂う甘ったるさがにわかに腑甲斐なく薄まり、これが如何にも鼻に不快で、堪らず右手を換気扇の紐へと傾けた。 (で、水気がなくなればよいのだな?)  ぼうとしている猶予はないのだが、そうしなければ成就されぬ代物もあるらしい。血色の箱と銀色の包みを丸めると、手持ち無沙汰を憂えながら屑籠へと投げる。これを乗り越えると、いよいよ最上級の謎と対峙することとなる。徳慈郎の頭には一文字たりとても解釈できぬ、縦しんば、あの妻をもってしても難題であろう最上級の謎と。 (いや、あるいは……)  
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