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音のない、世界
小説に音はない。そんな当たり前のことを、ドラマを見ながら思った。思ったので、書いてみる。
私は原作も映画も好きな作品があって、チェロの音を知っている。だから、見ていたドラマでチェロの音が聞こえた瞬間、あ、これはチェロだ、と分かった。バイオリンなら分かるけれど、チェロは分からない人も多いだろう。トランペットやサックスは分かっても、トロンボーンは分からない人も多いんじゃないだろうか。それはいかにその楽器が有名であるかということになると思うのだけど、オーケストラを聞いていてもどの楽器がどれで、なんていうのは、本当にオーケストラを好きな人にしかわからない。詳しくなるために勉強したり、何度も会場に足を運んだりしなければ分からない。吹奏楽部だった人は別だけれど、一般人にとってのオーケストラとの距離は遠い気がしている。
さて、音。そんな距離感のある音をもしも描くなら、私たちは文字で表現しなければならない。いっそ説明もしないで、チェロの音が聞こえる、だけでもいいのだけれど、それでどれだけの人がチェロの音を想像できるだろうか。私はそう思ってしまう。
私は昔、音楽が明確に聞こえてくる作品が好きです、とメッセージをいただいたことがあった。私がそういう作品を書けたわけではない。その方がそういう作品が好きだということをただ話してくれただけだった。だから意識して、音楽が流れる作品を書いてみたことがあったが、映像は浮かんだけれど音は聞こえてこなかった、というのがその方の感想だった。
音を文字で表現するのは難しい。
ここで皆さんに問いたいと思う。音を、音楽を、小説で表現できますか?答えが気になるところだ。書ける、または書けていた作品があったらエブリスタのものでも本になったものでもいいので教えてほしい。私は音を文字にしてみたい。そのヒントが欲しいのだ。
とにかく未熟な私が、六年前よりもなぜか退化してしまった私が、もがきながら戦っていることをここに残すことにする。また自分の子供のように愛でられる作品が書けるようになるまで、私はただの文字の羅列のような作品をそれでも書き続けるのだろう。書けなくなる恐ろしさを知ってしまったのだから、止まるわけにはいかないのだ。そんな自己中心的な作品群がそれでも誰かの心に届きますように。そう願いながら。
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