まだ未熟な私と、早川素子と。

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まだ未熟な私と、早川素子と。

今ここで、私が早川素子として文字を並べていることで、お陰さまで、私のことを知らずに、本当に作品たちだけで判断していただける場にいられる。 それが、心底嬉しいことだと思う。 実際、私は中学生に上がる前から作家志望だと言ってきた。私と面識のある人たちは、だからよく知っているし、応援して下さる人もきっと沢山いる。それも嬉しいこと。 けれど、作家として本当にやっていくなら、どんなに私のことを知っていて応援したいと思ってくれたとしても、作品としての評価をしてほしい。これは、思い上がりの我がままかもしれないけれど。 きっかけとして、私が本を書いているなら普段は読まないけれど読んでみようかな、と思っていただけるなら嬉しい。それは、読書をするきっかけになったということで、私の願いとそれは並行しているから。けれど、面白くもないものを、知り合いが書いているから無理矢理頑張って読むなら、それはきっと読まない方がいいように思う。 読書というのは、勉学の場でもあるけれど、娯楽の一種。勉強でも娯楽でも、そこに強要があったりしたら、人は吸収率も悪くなってしまう。自分で選択をして、触れてみてほしい。 だからこそ、私は誰に対しても、小説を書いていることは伝えたとしても、読むことを強制はしない。本当に読みたいと思ったら読んで下さいと伝える。 感想が聞きたいだとか、沢山の目にたしかに触れて欲しくて作品を挙げているけれど、そこはやはり私の中で大切にしていることだ。作者のエゴは作品に載せるだけでいい。人に押し付けてはいけないと思うの。 宣伝と強要のちがいは、天と地ほどの差がある。 素敵なものを伝えたい。届けたい。そう思って書いてはいるけど、私の中のこれはプロ意識なのだろうか。まだ未熟な私が、こんなことを偉そうに言うのもおこがましいとは思う。 けれど、例外として。 これは私の体験談なのだけれど、私が浜田省吾という歌手に興味を持つきっかけになったのは、たまたま機会があって、知人にLIVEに連れて行ってもらったからだった。正直、どんな世界なのだろうという興味半分、面倒くささ半分だった。それでも行って、肌で感じて、好きになった。 だから、作者ではなく、読んだ人が共感してシェアを少し強引にしてみるのはいいこともあるのかもしれないと思う。ただ、作者本人はあくまで文字で語っていきたい。
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