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今日は週末直前の木曜日。
普通なら平日のだるさの出てくる頃で、社会人の多くはきっとすぐそこに迫った週末に気持ちを飛ばす曜日だろう。
でも私は朝から浮き足立ちそうな気持ちを抑えながら、仕事をこなしていた。
17時半。仕事が終わり、私は会社を出た。
今は8月に入ったばかりの夏真っ盛りの季節で、太陽は西の空でまだ輝いていて、街に暑さをもたらす。
外に出て少ししか経っていないのに、じんわりと浮かんでくる汗が不快だ。
早くシャワーで汗を流したい。
「千葉(ちば)さん!」
「えっ?」
人の多い道を避けながら繁華街の方面に向かって足早で歩いていると、会社を出てから3分ほど歩いた路地で、私の名前が飛んできた。
その聞き慣れた声に振り向くと、路上のパーキングメーターの横に停められた車の中から、今から会う予定の人が笑顔を浮かべ、私に向かってひらひらと手を振っていた。
私は慌てて辺りを見渡して人がいないことを確認してから、小走りで車に近付く。
息を整えながら、車の中の人物に向かって早口で問い掛けた。
「杉浦くん、何でここにいるの? もしかして何か急ぎの用事でもある?」
私の目の前にいるのは杉浦くんだ。
私の驚きに反して、杉浦くんはいつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべて余裕の表情をしている。
「いえ。ちょうど近くを通って時間もあったから、ここで千葉さんを待ってみようと思い立って。見事ビンゴでしたね。さ、乗ってください」
「え、でも、いいの……?」
私は車の中の杉浦くんを周りから隠すようにしつつ、辺りを見渡す。
よし。今のところ、誰もいない。
私はほっと胸を撫で下ろした。
どこかから情報が漏れていない限り、私と杉浦くんが大学時代からの知り合いだと知っている同僚はいないはず。
私自身も、私と杉浦くんが“大学の先輩・後輩の関係”だということは一切口に出していないし、会社でも仕事で関わる必要のある時以外は、杉浦くんに容易に近付いたり話し掛けたりはしないようにしているから。
私がそのようにするのには理由があって、同僚に杉浦くんとのことを深く聞かれた時にうまく答える自信がないこと。
そして、もし私たちの“関係”がバレてしまい、杉浦くんに会えなくなるなんてことになるのは絶対に嫌だという理由からだった。
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