1.この熱を感じられるだけでいい

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意外と知られていないが、メーカーの営業にも関わらずMRは医薬品を直接ユーザーに販売することができない仕組みになっているのだ。 そのような仕組みからMSとMRは互いに協力し合って営業活動を行っている。 具体的には、MRがMSに情報を提供して自社メーカーの医薬品の販売協力を求めること、MSとMRが互いの営業活動等で得た医療情報等の交換を行うこと、MSがMRに対して医薬品等に関する資料作成依頼や得意先への同行依頼をすること。 他にもあるが、ざっとこのようなところだ。 その関係性が手に取るようにわかるのは、朝の医薬品卸のオフィス。複数の製薬メーカーのMRたちが訪問してくるため、たくさんの人で溢れ、声があちらこちらから飛び交う。 それは毎朝のことで、今日も例に漏れない。 ちょうど朝会が終わったようで、オフィス内の雰囲気が変わりガヤガヤし始めた。 「おはようございます」という声が聞こえ始め、今日もまたMRたちの競争が始まったなと思う。 私の仕事は営業とのやり取りが頻繁なため、デスクが営業部のオフィスの奥の方にある。 最初こそは戸惑ってしまったけれど、朝の慌ただしいオフィスの雰囲気には今ではすっかり慣れたものだ。 私のデスクは営業事務スペースの中でもオフィスの入り口から一番近い場所にあり、営業の朝会やオフィスに出入りする人たちの姿がよく見える。 「樋口(ひぐち)さん、おはようございます」 少し離れてきたところから聞こえてきた“よく聞き慣れた声”に、先月の売上状況のデータ分析結果をまとめたメールを上司に送るためにパソコンに向かっていた私は、一瞬、キーボードを叩いていた指を止めてしまう。 「あぁ、杉浦(すぎうら)くんおはよう。悪いな、手短に頼むよ」 「はい。こちら、昨日依頼された資料なんですが……」 最近、やっとこの場所で聞き慣れてきた“杉浦くん”という名前と、見慣れてきた光景を私はそっと目に映す。 その光景とは、ゆずのき製薬会社でMRとして働く杉浦くんが真剣な表情でうちの会社の営業である樋口さんに情報を伝えている姿。 同じような光景はあちらこちらで見られるというのに、杉浦くんの姿だけは何だか違って見えてしまうから不思議だ。
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