1.この熱を感じられるだけでいい

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……彼は、私の大学の後輩でありサークル仲間だった人。 そして私と彼の間には、周りに言えない“ある関係”がある。 「ほんと、助かるよ。杉浦くん、仕事が速いから」 「いえ。樋口さんにもたくさんご協力いただいていますので」 「持ちつ持たれつ、だな。契約、これでしっかり決めてくるよ」 「はい。よろしくお願いします」 杉浦くんの爽やかな返事ににっと笑顔を浮かべた樋口さんが、杉浦くんから受け取った資料をひらりとかざして足早に去っていく。 その次の瞬間、杉浦くんの目線が不意に私の方を向いた。 「っ!」 バチッと音がしたかと思うほどに目が合ってしまい、驚いた私はカチャっとタイプミスをしてしまう。 何とか不自然な態度にならないように取り繕おうとした時、杉浦くんが私に向けてふわりと笑顔を浮かべ、頭を軽く下げてきた。 わ……っ! 目が合って笑みを向けられただけで、一気に速さを増していく私の心臓の鼓動。 さっきまで浮かんでいた真剣な表情と、たった今目に映った笑顔とのギャップのパワーに、負けてしまいそう。 私は戸惑いつつも、態度に現さないようにどうにか平静を装い、杉浦くんに応えるようにぺこっと頭を下げた。 こんな風に、杉浦くんは私の心を簡単に揺さぶってくる唯一の人。 それははじめて逢った時から今でもずっと変わらないことで、きっとこれから先も同じ。 そんなことを改めて思うと身体が少しだけ熱くなった気がした。 頭を上げて再び杉浦くんの姿を認めた瞬間、挨拶の終わりだと示すように、杉浦くんは私からふっと目線を外した。 受け止めてもらえる場所を失った私の目線が宙に浮く。 何だか寂しい気持ちになってしまうけど、今の私たちは医薬品卸の事務員と、取引をしている製薬会社の人間というだけの関係。 それだけなのだから、あっさりとした挨拶しかないのが普通で、それ以上の関わりもないのが当たり前のこと。 無意識にため息と目線を落とすと、ふと目に映ったのは、タイピングミスで文末に無意味な文字列が並んでしまったメールの文章だった。 ……いけない。余計なこと考えていないで、仕事しよう。 キーボードのバックスペースをポチポチと押して文字を削除しながら、私は気持ちを仕事モードに切り替える。 ざわざわとしたオフィスの端っこで私は再びメール文書を作成すべく、再びタイピングし始めた。
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