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「教授……あの人を助けてあげてください」
「牛子君、あれを見て泣いているのかね」
「だって教授。愛する人に逢いたい一心で、あんなに苦しむことはないと思います」
私は涙ながらに訴えた。それがたとえ女の妄念でも、あまりに哀れで可哀想である。
「これは古墳から出土した土笛で、“返り(かやり)の笛”と呼ばれておる。
陰陽師の末裔である君なら、きっとこれを吹けるはずだ」
寺田がそう説明して、コロンとした土色の笛を手渡した。
私は女を助けたい一心で、その返りの笛を唇にあて吹く。
瓢有────♪、瓢有────♪
それは殯の笛と区別できない音色だった。
それでも笛の音が効いたのか、女の裡で暴れる黄泉醜女は静かに消える。
女は悶死をまぬがれたが、息も絶えだえに伏していた。
「教授、どうやら成功したみたいですね」
「殯の笛の音に、逆位相の返りの音をぶつけて打ち消したのだ」
私のはずむ声に、寺田がうなずきながら答えた。
そのとき──暗い闇の奥から、一人の男が忽然と現れた。
「どうやら、殯の笛は出来損ないのようですね」
貴公子然とした男が、よく通る神秘的な音声で言った。
「どなたかな?」寺田が問う。
「失礼しました。私は北 一輝(きた いっき)と申す者です」
北が恭しく頭を下げて名乗った。
「その名前、聞き及んでおるよ。国家改造運動を声高に叫んでいる、魔王と呼ばれるカリスマがいると」
私は北の顔をよく見ると、その片方の眼は義眼だった。
その冷たく動かぬ眼ゆえに、北がおそろしく神秘的な人物に思えたのだ。
「それで北君は、その殯の笛でなにを成すつもりだったのかね?」
「死者を蘇らせて死なぬ兵士を造れないかと、そのようなことを考えていたのですよ」
「死者の兵士……?」
「それで革命を起こして、この腐った国を変えたかったのですよ。
だがしかし、殯の笛は欠陥品だと知れました。
残念ですが、今日のところは引き揚げますよ」
北が哄笑しながら、闇に溶けるように去っていった。
「夜に笛を吹いて来るのは鬼か蛇だというが、まさか魔王であったとはな」
寺田が煙草をのみながら、遠い眼でそうつぶやいた。
それが後に昭和のクーデター二・二六事件の精神的指導者となった、魔王・北一輝との初めての遭遇であった。
──夜に笛を吹きて来たる 御仕舞
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