12人が本棚に入れています
本棚に追加
夜に笛を吹きて来たる
それは蛾眉の月が怖い夜であった。
私こと天神牛子(てんじんうしこ)は、寺田寅彦(てらだとらひこ)の頼みで古物競売に参加した帰りだった。
「優秀な助手がいると、誠に安楽であるな」
寺田が煙草をくゆらせながら言った。
寺田はキリンの縞模様とかの研究をしている、かなり奇妙キテレツな科学者なのである。私はその寺田の助手をしている。
「もー、教授ったら。私は大変だったんですからね」
私は多少ごねながら、猫背で座る寺田に駆け寄った。
夜深で暗い神社である。そこに茫と座る寺田は、痩身の死に神に見えた。
「それで牛子君、例のモノは落札できたかね?」
「腐っても陰陽師の裔です。裏の古物競売くらいなら参加できますよ」
私の家は幕末に没落したが、これでも陰陽師の名門である土御門の分家である。
それゆえに裏社会には通じていて、今回の古物競売にも家の名をだしたら参加できたのだ。
「西洋では競売をオークションと呼ぶが、古物競売はいわくつきの品が多いみたいだね」
「でも教授、一人だけ競り合った人がいたんですよ。
工場マスクをつけていたので顔は見えませんでしたが、髪が長かったので女の人だと思います」
「はあ、はあ」と寺田が、およそ聞いていないかのように相槌をうつ。暖簾に腕押し、寺田に女の話し、である。
「それで教授、この落札した笛はなんですか?」
私は競売で落札した品である、骨で造られた古めかしい笛を差しだした。
「それは大実業家である渋沢栄一翁が所望した品でな。
虎を落とすと書いて、“虎落笛(もがりぶえ)”と呼ばれるモノだよ。
または“殯(もがり)の笛”とも呼ばれておる」
寺田がそう言ったときに、首筋の産毛が逆立つような気配を感じた。
それで振り向いて見やると、そこに競売にいたマスクの女性が立っていた。
「それを……渡して……」
か細い声で女が言った。
「あなたは……誰ですか?」
私は問いかけると、女がまるで蜘蛛のような迅さで笛を奪った。
「あたしにはこれが必要なの。これで三年前に殺された、古本屋の奥様を蘇らせるのよ」
「え”っ、それってD坂の殺人事件!?」
私は驚いて声をあげた。
最初のコメントを投稿しよう!