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フラフラと彷徨った挙句、私はホテルに入った。
温かいコーヒーでも飲もう。
次男が5年生になってから、外でコーヒーを飲むことなんて、なかった。
塾のお迎えがどんなに凍てつく夜でも、私は必ず、外で待っていた。
仕事との両立を諦めた自分への、せめてもの戒めになるように。
文句を言わずに塾代を出してくれる、夫への償いになるように。
そして、勉強を頑張った次男を、一番早く迎えられるように。
中学受験が終わったら、最高のコーヒーを飲もう。
そう願うことで、ギリギリの心を支えていた。
けれど、その日の私はもう、ギリギリのラインを超えていた。
第一希望校での失敗が、頭の中を離れなかった。
ホテルの中は、驚いたことに、着物姿の女性で溢れていた。
一体どうして。これは夢の中なの?
うろたえる私の視界に、「祝成人」と書かれた垂れ幕が映った。
そうなのだった。こちらが中学受験に夢中になっているうちに、
世間では着実に、時が流れていたのだ。
そのホテルは、複数の美容室や貸付着物店がスペースを借りて
壮大な着付け会場となっている様子だった。
そして、仕上がったお姫様たちは、
コーヒーショップへと次々にやって来た。
「きゃあ、久しぶり!」
抱き合う人たちの姿、それを見つめる母親たち。
そのときの私には、決して正視できない穏やかな幸福が、空気を包んでいた。
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