“大人”についての考察。

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そして、向上心。 人を見下さず、自分を卑下せずに、自分がなりたい、自分なりの高みを目指す。それがもしかしたら他人にとっては鼻で笑われることかもしれない。気にも留められないかもしれない。それでも、なりたい自分でいることが、きっと何より輝けるものだと思う。 そんなことを知人と話していたら、「まるで禅問答みたいだね」と言われた。なぜだか分からないのだけれど、そう言われた途端、私の中で私の言葉が薄っぺらくなった気がした。人の言葉って分かりづらい。温度があって音があって、表情もあるのに。それでもその人が何を思ってそう言ったのかがまるで分からなかった。感心していたのか、宗教を妄信しているかのように聞こえたものを疎ましく思っていたのか。人の言葉は難解だ。 少し話はそれてしまったが、私の思う大人。それは、人を受け入れられる度量のある人のことのような気がした。 色んな環境、状況、情況で生きる人たちがいる。私の経験と知識では計り知れないものの中で、生きている人たちがいる。そんな人たちが、なにを思って行動を起こしているのか。それを考えてみること。どんなに突飛で、一瞬頭にくるような行動でも、もしこう考えていたのだとしたら、こういうことがあったのだとしたら。そこまでを想像してみたときに、それだったら理解ができる、あるいは、仕方がないと思えるかもしれない。 相手にいろんな事情があるように、こちらにだってその時々で事情がある。環境がある。状況がある。けれど、それに右往左往しないで人を慮って動ける人。それが私の思う大人だ。 受け入れて仲良くなれたらいいけれど、合う合わないはやっぱりあるだろう。でも、理解することはできるはず。合わない者同士が無理矢理一緒にいる必要などないのだし、適度な距離感を取ればいいだけのこと。 人のことを考えもせず、知ろうともせず、ただ自分の価値観だけが正しいと思って生きていくような人にはなりたくないのだと思う。やりたいことをして、やりたいことのためには努力も必要で、それでも理解されないこともあるけれど。それでも私は真摯に人と向き合っていきたい。 私が思う大人になれた、という日は来ないのかもしれない。人の数だけあるだろう価値観に歩み寄っていこうとしているのだから。それでも、そうやって歩いていく日々は悪いものではないんじゃないかなと思うの。
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