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“大人”についての考察。
思い出せる限り、ずっと私は大人になりたかった。それはきっと、年齢的な意味合いでもうずっと“大人”をしている今でも変わらず思うものだ。
子供の頃は、年齢を重ねれば大人になれるものだと思っていた。小さな身体も、この声も。大きくなって変わっていけば、なれるものだと信じて疑わなかった。大人はなんでも知っているとか、大人になればなんでも手に入るとか。それが全然違うことに気付いたときに、私はやっと、大人の階段を上り始めたような気もしている。
大人になりたい。
私が今、なりたい“大人”ってなんだろう。唐突にそんなことを考えることがある。
たとえば、人を見下している人を見たときに感じる嫌悪感。あれは、私が思う大人とは正反対の位置にあるものだ。そこで考えたのが、人を見下す人が浸っているものについてだ。
優越感。
これってひどく甘い蜜のようなものだと思う。それも強い毒性のある蜜。たしかに人って、自分が優位に立っているときに満足感を得られるものだとは思うの。でも、格好悪いじゃない。人を見下して、上から目線で鼻で笑って。それって少しも大人じゃない。
誰にだって欠点はある。鼻で笑ってしまうほどの部分があっても、自分よりも優れた部分だってどこかで持ち合わせているものだ。それを見ようともしないその性質こそが、大人でないものだと思った。
私の愛するものの中に、謙遜がある。これは、本心からくるものと口先だけのものがあるので、この場合は前者をさす。
劣等感。
自分の方が劣っていると思うから、謙遜をする。そう捉えるとなんだか切ないけれど、相手を敬っている・尊敬している場合。謙遜は、とても美徳なものに映る。
自分を卑下したところで、生まれてくるものってあんまりない気がしていて。良くないところが分かっているなら、それならどうしたら変われるだろうって考えた方がすごく健康的。素直に人の良いところを認められる心が大切なんだと思うの。
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