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「いや、それは」
あまりにも鮮やかな、そして無邪気な笑みに気圧されて何も言えなかった。聖に逆らうということ、そんなことは何一つできそうにない。
しかし、提供者になると言えるはずがない。
もしも万が一にでも提供者になるとしたら。それは。その相手は。
「申し訳ありません、聖様。今、私が蓮川さんを口説いている最中ですので、結果が出るまでしばらくお待ちいただけませんか?」
そこに割り込んできたのは真治だ。そっと真治の横顔を盗み見たが、冗談を言っているような気配はない。
断ったはずだ、とも言えなかった。
とりあえず、聖の申し出は受けてはいけないと感じたからだ。だったら、真治に任せておこうと思った。
「おぬしがか」
少し意外そうに目を細め、聖が低く唸る。そしてすぐに軽く頷いて、明るく笑った。
「そういう話ならかまわん。儂は適当に見繕うことができるからな。久々の娑婆は楽しそうだ、遊んでこよう」
と、彼はすぐに病院の窓の桟に手をかけた。まるで、今すぐにでも外に出ようとしているその姿を見て、七瀬さんが鋭い声を上げた。
「何をしてるのおじい様! 少しくらい大人しく――」
「できると思ったら大間違いだぞ」
「だったらその格好はやめて」
七瀬さんが聖の病衣の襟を掴んだ。こんなに困った様子の彼女の顔を見たことがない。ほとほと呆れたように顔をしかめ、彼女は小さく言った。
「時代が違うんだから、洋装が嫌いとか言わないで。さっきのスーツ、どこに脱いできたの」
「別に白装束でもかまわんだろ」
聖は納得がいかないと言ったように病衣の襟元を撫でながら首を傾げたが、すぐに七瀬さんに怒鳴られた。
「それは着物ではありません!」
何だか楽しそうだ、と他人事のように思った。
本当に頭が働かない。
「家にあった着物は樟脳臭くてかなわん」
ぶつぶつと呟き続ける聖に向かって、七瀬さんがまたため息をこぼしながら言った。
「干しておけばすぐに匂いはとれるでしょ? それとも、これから着物を買いに行く? でも、外出着としては使えないわよ? 今の時代、着物は花火大会くらいにしか着ないと決まってるんだから」
「花火大会が待ち遠しいな」
「おじい様!」
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